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【訃報】土井瑛児 社長、逝く……

訃報・土井瑛児社長

新ひだか・ヤマニンベン牧場 社長としてヤマニン軍団の一翼を担った土井瑛児氏が亡くなられました。お悔やみ申し上げます……

先日、関係者の方からのメールが飛び込んできました。私は仙台から大阪へ出張する途中立ち寄っていた名古屋の実家で、そのメールを受け取りました。ヤマニン軍団をいっしょに応援していただける皆さまにも、本日謹んでお伝え致します。

ヤマニン軍団の一翼を担う種馬場・生産牧場として静内町(現在の新ひだか町)駒場にあるヤマニンベン牧場の社長を長らく務めていた土井 瑛児氏が、2018年2月12日朝に亡くなられました。ご冥福をお祈り申し上げます。合掌……。

訃報・土井瑛児社長

 

【ヤマニンベン牧場と土井瑛児オーナーとは?】

往年のヤマニンベン牧場

往年のヤマニンベン牧場

ヤマニンベン牧場は、土井一族の競走馬生産拠点として苫小牧に開場されていた錦岡牧場の代表・土井重雄氏の長男である土井瑛児氏が、1973年 静内町に開場した種馬場・生産牧場です。後に新冠町に移設された新冠・錦岡牧場とともに、「ヤマニン」冠名を使用している土井宏二氏・肇氏の所有馬を主に生産しました。高校球児で、いつも大きな身体で、大きな声で、元気に歩いておられました。2001年に錦岡牧場に経営統合された後も、ヤマニングローバルやヤマニンリスペクトの面倒を見ていた姿が思い出されます。直前までとても元気でらしたそうです。

 

【個性的なヤマニンベン牧場の名馬たち】

ヤマニングローバル

ヤマニングローバルと瑛児氏

ヤマニンベン牧場と言えば、個性的な馬たちを思い出します。その代表格と言えるのが、不世出の名馬ヤマニングローバルでしょう。初重賞制覇後に発症した両前脚骨折に、武豊騎手が「来年のGI4つ取り損ねた(皐月賞・ダービー・菊花賞・有馬記念)」とのコメントは、今でも語り草です。しかしそんな苦境から這い上がって戦線に復帰、G2・2勝に天皇賞(秋)3着と走ったヤマニングローバルは、間違いなくヤマニンベン牧場の代表生産馬の一頭です。ミスターシービー産駒として種牡馬入りを果たし、不遇ながら地方・JRAで勝ち星を挙げたのは、間違いなく瑛児氏の想いの賜物でした。(⇒ 参考: 【悲報】幻の三冠馬・ヤマニングローバル、逝く……)

功労繁殖雌馬の碑。ヤマニンベン牧場の名前も見える。

功労繁殖雌馬の碑。ヤマニンベン牧場の名前も見える。

名種牡馬ヤマニンスキーも忘れてはいけません。繁殖馬として米国より輸入されたアンメンショナブルのお腹に宿っていたニジンスキーの産駒として錦岡牧場でヤマニンスキーは産まれました。全く同じ血統構成だったマルゼンスキーは1世代上で、既に種牡馬として活躍しており、大きな注目を集めていました。残念ながら腰の状態が良くなく、良績を残せずに引退し、ヤマニンベン牧場で種牡馬入り(当時 瑛児氏は腰の不安について「能力は間違いなくあっただけに、少し残念でしたね」と語っています)。マルゼンスキーが種牡馬としても好成績をおさめていたため、代替種牡馬として数多くの産駒を輩出。代替種牡馬としての位置づけから、母馬たちの血統構成は決して良いものではなかったものの、天皇賞馬ヤエノムテキ、オークス馬ライトカラーなど、内国産種牡馬として活躍。ヤマニンベン牧場の自家生産馬としても、中日新聞杯(G3)を勝利したヤマニンフォックス、共同通信杯4歳S(G3)を勝ち皐月賞・日本ダービーにも出走したヤマニンアクロなどを生産しています。生前、何度も「スキーは偉かった」と仰られていたことが懐かしいです。

 

 

【最終世代から産まれたGI馬ヤマニンシュクル】

当歳の頃のヤマニンナジャーハと母ヤマニンシュクル

当歳の頃のヤマニンナジャーハと母ヤマニンシュクル

代表生産馬、生産最終世代から生まれた瑛児氏念願のGI馬が、ヤマニンシュクルです。ヤマニンシュクルは、睦秋氏が米国より導入した1988年度エクリプス賞最優秀3歳牝馬であるティファニーラスの孫にあたります。導入するにあたりティファニーラスに宿っていたニジンスキー産駒ヤマニンジュエリーは、競走生活を送ることができず繁殖入りしたものの、その繋養先としてヤマニンベン牧場が選ばれました。しかしヤマニンジュエリーは受胎しにくい体質であり、期待が大きいだけに苦労の伴う繋養だったそうです。8頭という少ない産駒の3頭目として生を受けたのがヤマニンベン牧場最後の世代であったヤマニンシュクルであり、ヤマニンベン牧場唯一のGI馬となりました。
ヤマニンシュクルが現役時代、秋華賞(GI)観戦にお見えになられた瑛児氏は、パドックで私たちを見つけると、応援幕で記念写真を撮っていただいたことが思い出されます。既に一戦は退かれていましたが、生産馬のことがとても可愛かったことと思います。ヤマニンシュクルが錦岡牧場で繁殖入りした後も、よく会いに来ておられました。

 

【ヤマニン倶楽部と土井瑛児社長】

ヤマニン倶楽部は、管理人なおやが1999年にヤマニンベン牧場を見学させて頂き、翌年開設した「ヤマニン冠名の馬たち」を応援するためのホームページです。ヤマニン倶楽部開設のきっかけを作って下さったのは、間違いなく瑛児社長です(瑛児さん、と呼ばせていただいておりましたので、以後瑛児さんで失礼します)。
毎年のようにヤマニンベン牧場でヤマニングローバルに会わせて頂き、そのほんの少ない時間の中で、ヤマニングローバルが種牡馬として活躍して欲しいことを熱く語って下さり、ヤマニンゼファーに会わせていただいたり、大変良くしていただきました。私の知っている瑛児さんは、毎年WINSかAIBAにおられ(笑)、いろいろなお店に連れて行ってくださる、ヤマニン倶楽部のお父さんのような方です。
ヤマニン倶楽部ができてからは、ヤマニン倶楽部のことも気にして下さり、折に触れていろんな方に広めて下さったと聞いています。ファンを大事にして下さる方でした(個性は全然異なりますが、睦秋さんもそうだったなって、思いました)。
ヤマニンベン牧場が経営統合され、ヤマニンベン牧場所縁の血統馬たちは錦岡牧場や廣田光夫氏のもとに分かれていきましたが、今も間違いなく、ヤマニン軍団の中で脈々と受け継がれています。今週、大和ステークス(OP)に出走するヤマニンアンプリメはまさに、ヤマニングローバルの母ヤマニンペニーに遡るヤマニンベン血統で、瑛児さんがいつも信頼されていた中村均調教師によって育てられてきた馬です(天皇賞馬ヤマニンウェーブの調教師・中村覚之助氏は均氏の父。障害馬ヤマニンアピール、重勝馬ヤマニンマリーンも管理していた)。ヤマニンアンプリメのこれからの活躍はもちろんですが、ヤマニンベン牧場血統の今後も、瑛児さんといっしょに見守っていきたいと思います。
瑛児さん、お疲れさまでした。スキーやグローバルたちと再会して、ヤマニンベン牧場出身馬たちを見守っていて下さい。

在りし日のヤマニンシャレードと瑛児氏

在りし日のヤマニンシャレードと瑛児氏

 

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