第2話 軍団の重鎮・ヤマニン ~軍団誕生秘話~

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いわゆる私たちが応援している「ヤマニン軍団」ですが、その始祖とも言うべきお馬さんがいます。そう、「YAMANIN」です。
1972年アメリカに生まれた黒鹿毛の雄で、アメリカでGI1勝を含む11勝を記録したこの馬こそ、「ヤマニンの当主」土井睦秋氏(錦岡牧場)がヨーロッパ修行中に日本人オーナーの依頼を受けて初めて競り落としたサラブレッドだったのです。1973年のことでした。またこの時行動をともにしていたのが2歳年上の従兄弟・土井肇氏でした。もちろん、土井肇氏は我らが「ヤマニンなお馬さん」の多くのオーナーとして活躍されていらっしゃいます。いわば、この「YAMANIN」こそ「ヤマニン軍団」のルーツとなったお馬さんなのです。

「ヤマニンを競り落としたのが1973年だから、僕は27歳だった。あの馬が走って、で、従兄弟が仲を取り持ってくれたおかげでオヤジと和解することができたんです」(競馬名人読本より)

往年のヤマニンベン牧場
往年のヤマニンベン牧場

父親の経営する牧場から飛び出して修行中だったそうで、ヤマニンの活躍により日本に戻ってくることになったそうです。後に苫小牧・錦岡にあった牧場を現在の新冠・泊津に移転し、以前の所在地から現在の「錦岡牧場」という名前で新たに開設したのもこの時期だそうです。以降、名馬ヤマニンを生産馬たちの名前に冠し、現在の「ヤマニン軍団」が掲載されるに至ったのです。
輸入馬ヤマニンは、静内・ヤマニンベン牧場に繋養されました。主な産駒にトレードマークなど。

在りし日のヤマニン
在りし日のヤマニン

以上は、いろいろな書籍やインタビュー記事などから、寄せ集めたものです。私もあまり詳しく知らないのですが、「ヤマニン」という馬がそのルーツとなっていることは友人から聞かされていました。1999年、初めて日高を訪れたときに真っ先に訪れたのが実はこのヤマニンベン牧場で、こちらに掲載されている写真はすべてその時のものになります。(→詳細は「エエカゲン日記」の1999/05の項を)
ヤマニンベン牧場さんは、新冠町から静内町に入ってすぐの丘の上にあります。インターネットに散見される牧場見学記でよく「迷った」と書かれているのは納得できます。細い道を選ばないと到達できないのです。私の時は地図で確認できる唯一の道が工事中で使えず、裏の小高い団地(?)から回り込んで行ったものでした。ヤマニンベン牧場は、小高い丘の上にあり、放牧地も丘の頂上に向かってずーっと広がっていて、空の青さといっしょにとても印象的でした。
「グローバルを見に来たの?」
従業員の方に声を掛けられ、まずはヤマニングローバルを見せていただき、すぐに口をついて出たのが「ヤマニンはまだこちらに……」という言葉。「ああ、ヤマニンならこっちの放牧場だよ」と教えられたのは、種牡馬厩舎の裏。ヤマニンはいかにもお年寄りの様子で、でも遠くで草をはんでいました。この時、初めてヤマニンベン牧場を見るのではなくて、ヤマニンベン牧場から見える日高の海を臨むことができました。とてもきれいな場所だな、と思います。風も気持ちよかったことを覚えています。そんななか、私にとってやっぱり伝説の名馬だった(もっとも何が伝説でどうして凄いのかは全然知りませんでしたが)ヤマニンは、のんびりとしていました。「もーすっかりじじいだから」と従業員の方がおっしゃっていたことを覚えています。
この時の北海道旅行は某通信大手企業の仕事でお邪魔したのですが、この時の従業員の方のご子息が同じ系統の会社に入社されていたとのことで、この時の会話から翌年お邪魔した時に覚えていてくれたのがとても嬉しかったです。
ただ残念ながら、私のヤマニン応援熱のなかでヤマニンは既に亡くなっており、1999年5月に訪問させて頂いたこの写真が、私とヤマニンの最後の出会いなってしまいました。間に合って良かったと思う一方で、残念だな、と思ったり……。でも、会えてとっても嬉しかったです。

ヤマニンメディア2000の当歳時
ヤマニンメディア2000の当歳時

さあ、私の話はともかく(^^; ヤマニンは、私たちヤマニンファンにすばらしい馬たちと人たちを残して旅立ってしまいました。けど、きっとヤマニンの後継者たち(もちろん、血の後継者たという意味ではなく、ヤマニンに関わった全ての方々とお馬さんたち)を一生懸命応援するからね!
そう、また新しいお馬さんたちが走ります。ヤマニンの仔馬たちを見守ってください。

 

ヤマニンの詳細情報

(2000/11/23)

 

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