2012年 ラジオNIKKEI賞(G3)2着ヤマニンファラオが、残念ながら登録を抹消。
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ヤマニンファラオ(牡 父ダイワメジャー 母マダニナ)、登録抹消。
※スランプが続いた2011年新馬世代に、2歳馬最後のデビューで新馬戦を勝利したヤマニンファラオは、若駒S(OP)、つばき賞(500万下)の連続3着後、ゆきやなぎ賞(500万下)で2勝目を挙げ、クラシックへ名乗りを上げました。
青葉賞(G2)で日本ダービー(GI)出走権獲得のため挑戦するも4着と残念な結果でしたが、白百合S(OP)で2着しふたたび重賞・ラジオNIKKEI賞(G3)にチャレンジ。管理人始め、倶楽部員の現地応援も空しくファイナルフォームの2着でした。とはいえ賞金を上積みできたことで、クラシックの三冠目・菊花賞(GI)への挑戦が現実味を帯び、神戸新聞杯(G2)へ向けて調整されましたが、運命の歯車はここからファラオに試練を与えるのでした。
神戸新聞杯の追い切り後に右前肢に熱をもったため回避し、河内師は「痛みはありそうだが、ハ行はないので大事には至らないと思う。ぶっつけで菊花賞になるかもしれない」と語っていました。しかし10日後には一転、同馬のためとして年内を休養に充てられることになり、クラシック挑戦は霧散してしまいました。
期待された復帰戦は翌年2013年2月の京都記念(G2)でしたが、11着に敗れ、喉なりの一種であるDDSPが大きく疑われるようになりました。通常であれば成長とともに無くなるとされる病気でした。その後、DDSPの手術のためさらに休養。同年12月ゴールデンブーツT(1000万下)で復帰するも15着し、さらに休養に入りました。さらにターフに戻ってきたのは2014年6月の洞爺湖特別でしたが、これが9着。7月に渡島特別(13着)、松前特別(12着)と函館で連闘したものの連続最下位に沈んでしまいました。陣営は再度の休養を選択し、栗東・河内洋厩舎から美浦・星野忍厩舎への転厩を試みました。
最後の勇姿は、今年1月の中京スポニチ賞でしたが、15頭立て最下位人気を12着という結果で、再び休養中でした。
長年DDSPに泣かされ、一番いい時期に戻すこと叶わずの引退となってしまいましたが、ヤマニン軍団において近年数少ない重賞好走馬として、サポーターの希望の星でした。本当にお疲れ様でした!
- 中央獲得賞金: 54,704,000円
- 通算成績: 13戦2勝 (2-2-2-7)
追伸: ニュース掲載が遅くなり、申し訳ございませんでした。
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