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第3話 「そよ風、と呼ぶには強烈すぎた」ヤマニンゼファー

ここに掲載されている文章は、2001年に書いたものです。今から14年も前のことです。
当時はヤマニン倶楽部を開設してからまだ3年しか経っておらず、ヤマニンゼファーの生産者である錦岡牧場 社長の土井睦秋さんと、まだ知り合っていない頃に書いたものです(たぶん、この頃から錦岡牧場に通うようになっていました)。写真も当時のままにしました。太ったなぁ……(;^_^A
そろそろ、改めてゼファーのことを書いてみたいです。

 

 「ヤマニン」と言ったら、間違いなく皆が思い浮かべる。ヤマニン・オブ・ヤマニン。ヤマニンゼファー。最近のJRAのポスターでは、「そよ風と呼ぶには強烈すぎた」なんて粋なコピーで、今もなおその走りは鮮烈に記憶に残っている。
 ゼファーは私にとって非常に心に残る馬ですし、こうして「ヤマニン倶楽部」というホームページを作って彼の弟妹分を応援したり、ヤマニンの関係者の方とお話できる機会をくれたのも、全てゼファーのおかげだ。なんといっても私を競馬に引きずり込んだ張本人を、今回は「ありきたり」な紹介と、そうではない側面とから、ご紹介してみたいと思います。
 私はゼファーがとても好きだから、なかなか書けなかった。今回は不十分でも、書き上げてみたいと思います。

競馬に興味はなかったけど、リアルタイムなゼファー……

 私が最初にゼファーのことを知ったのはいつのことか、正直覚えていない。今でこそ競馬に興味があるから「あー、あの頃から関係してたんだな」と思えるけれど、決して「××から」とは言えない。こんな理由があるからだ。
 このサイトの「エエカゲン日記」や「乗馬研究室」などを読んでいただいているかたはご存知の通り、私の友人りゅうがゼファーとの関係を語る上で必須だ。中学時代の同級生であるりゅうがなにかの話題でこう言ったんだと思う「昨日、ゼファーが天皇賞勝った」って。安田記念が勝ったという話も聞いた記憶がある。リアルタイムでそんな話題がりゅうとの間であった。でも、私は競馬に興味が特になかったし、りゅうもそれほどではなかった。りゅうは親戚の関係している競走馬が勝ったことを話しているに過ぎないから、へー、と終わってしまった。今にしてみれば残念な話だ。

ヤマニンポリシー(栗)とヤマニンペニー(鹿)

ヤマニンポリシー(栗)とヤマニンペニー(鹿)

 その後、この「ゼファーが」という会話は記憶の底にしまわれてしまう。興味がないんだから仕方がない。しかし、徐々に興味が湧いてきたとき、「ヤマニン」という冠名はとても気になっていたし、「ヤマニンゼファー」という響きにはちょっと親近感があった。私は残念ながらとても記憶力がないクチなので、このあたりの記憶がきちんとつながるのに時間を要してしまったが、親近感が湧いて当然で、ずーっと(たぶんヤマニンゼファーが天皇賞を勝つ前から)「ヤマニン」という言葉を耳にしていたんだろう。
 だから、ゼファーに関する最初の記憶はとても曖昧だ。りゅうから聞いた「人気はないし、みんな勝てないだろうって言ってた。でも、オーナーが亡くなった直後のレースだから、後押ししてくれたのかも知れない。本当だったら勝つはずがない……」というような内容が、とても耳に残っていて、ゼファーの戦績とは別に、ひとり歩きしていた。もちろんオーナーとは、故土井宏二氏のことだ。

抜かせない勝負根性! ゼファーは強い!

 競馬に興味を持ったのは、恥ずかしながら競馬ゲームを通してです。光栄さんが出しているシュミレーションゲーム「Winning Post」をプレーするようになってからでした。私はゲームをすると不思議と短距離~マイルが好きで、そこでいつもニホンピロウイナーとヤマニンゼファーを種付けするというのだから縁がある。だんだん興味は湧いてきたけど、でもまだ競馬自体を楽しまない。そのうち、いろんな競走馬の本を読みあさり出す。そこで初めて知りました。よくゼファーが好きなワケで出てくる理由。
 父子2代で成し遂げた、距離の克服。
 シンボリルドルフという偉大な名馬を同期に持ち、また短距離番組が整備されながらも「賞金を稼ぐために」などと後ろ指を指されながら走ったゼファーの父・ニホンピロウイナー。私はこの馬の関係者をとても尊敬しています。というのは、あの時代の世間の風潮だったら、クラシックを走らせたい。「逃げた」とは思わせたくない。しかし、馬にとってはどうだろうか。距離の壁が厳然とあったニホンピロウイナーが、マイルチャンピオンシップ2連覇という記録を達成し、その評価を後世に繋ぐことが出来たのは、名判断だったように思います。そして果敢に挑戦した天皇賞・秋。2000mという距離、そしてシンボリルドルフ。これに3着したという挑戦。凄いな、と思います。
 そしてその仔、ヤマニンゼファーも安田記念2連覇と、父に負けないマイラーとしての血。そして、天皇賞・秋への挑戦と制覇! 父子2代でうち破った距離の壁。
 特に私は、この天皇賞・秋のレースが大好きで、ビデオがあるのを良いことに、なにか落ち込んだりしたときにこっそり見たりしています。制覇した安田記念2レースは、ゼファーは強い。本当に強いと思うのですが、天皇賞・秋のゼファーはもちろん強いのだけれども、凄い。主役不在と言われている天皇賞・秋ですが、それでも東京の長い直線、ゼファーが抜け出した後にセキテイリュウオーが迫ると、ぐいっぐいっとゼファーも脚を伸ばす。そして、なによりも抜かせない。
 勝負根性って言ってしまえば大したことではないのですが、絶対抜かせないんだという意志のようなものを感じるレースで、共感? いや、メッセージを感じるんです。この馬、本当に強いなと思った瞬間です。
 後に思い出せば、ということになりますが、りゅうの親戚のみなさんがおっしゃっていた「後押し」は、私から見ると「意志の強さ」に思えたんです。

輸送に弱い、でも距離は大丈夫……

ヤマニンゼファー

ヤマニンゼファー

 私はこの「強さ」をゼファーに見ていました。ずっと。競馬が好きになった後も、種牡馬になったゼファーを応援したい気持ちはとても強くて、ゼファーの仔が走ると馬券を買う……というようなことが始まります。博打という意味では私の競馬は大きく踏み外し始めたワケですが、ゼファーは距離を克服する強い馬、というのが私のゼファーに対するイメージなんです。
 ところが、ある日雑誌の特集記事にゼファーが掲載されており、その記事を読んでいくうちに驚きを感じしまた。
 ゼファーについて話題にすると、絶えず「距離」がついて回ります。最初の安田記念の前には「ダート馬」とか「距離が1600mでは長い」とか、とにかくいろんな疑問符がついている。でも、田中勝春騎手に最初のGIをプレゼントする。天皇賞・秋でも「距離が2000mは、いくらなんでも長い」と言って勝ってしまう。しかしその裏で関係者の方がなにを考えていたのかが、記事になっていました。
 ゼファーは輸送に弱い、というのです。
 栗田調教師のインタビューが掲載されていました。非常におとなしく、手の掛からない馬だったこと。そして天皇賞は勝てると思って使ったということ……。
 ゼファーの生涯戦績を見ていると、不思議なことがわかります。それは、名マイラーと呼ばれながらマイルチャンピオンシップに勝っていないことです。そのことについての記事が載っていました。羅生門Sは勝っていますが、輸送すると飼い食いが悪いらしいのです(この辺りはしっかり覚えていないのですが……)。そこで栗田調教師は1993年、関西への遠征を選択肢から外すローテーションを考えた。しかも中山記念を使った後、騎乗した田原成貴騎手が「距離は大丈夫」とコメントしたことで、栗田調教師は秋のローテーションについて「天皇賞・秋」に照準を定めたと……。

 私にとって「ゼファー」は「強い馬」でしたが、この瞬間からイメージが少し変わりました。輸送に弱いから、秋は天皇賞を使い、距離は保つと自信を持って栗田調教師は送り出した……。
 私はそれを知って、ゼファーが弱いとは思わなかった。より尊敬した。
 やっぱり強かったんだ。ニホンピロウイナーの関係者がそうしたように、ゼファーの関係者も、ゼファーにとって最善の選択肢をした、その瞬間があったんだと、妙に納得してしまった。ゼファーの強さは、関係者のみなさんの強さに支えられていて、そして結果を出したんだ、と。
 ますますゼファーが好きになっている自分に気づきました。

「ゼファーはスプリンター」

往年のヤマニンベン牧場

往年のヤマニンベン牧場

 こうしてゼファーの魅力に取り憑かれてしまった私ですが、2000年春、5度目の北海道旅行へ出かけました。日高方面へ行くのはこれが2度目でした。前回との大きな違いは、りゅうが同行していることでした。りゅうの親戚がヤマニンベン牧場の関係者であり、彼自身がアルバイトをしていたという関係で、ヤマニンベン牧場を訪問することができました。詳しくは日記に譲りますが、従業員の方には私のことを覚えてもらっており嬉しかったですし(ヤマニンチアフルが元気で嬉しかった)、なによりも土井瑛児さん(ヤマニンベン牧場・社長)とお話が出来たことは、私にとってとても興味深い話が聞け、とても記憶に残っています。

 マンボウの刺身とお酒をご馳走になりながら、話がゼファーに及んだとき、私を驚かす一言が土井社長から飛び出したのです。
 「ゼファーはスプリンターだから」
 スプリンター!? ど、どうして?
 とは思いましたが、色々と話を伺うと、「やっぱりスピードが大切」ということだと思います。早く走らなければならない。でも、その実績を思い出して欲しいと……
 「最後のレースは、あのサクラバクシンオーの2着だよ」
 私個人としてのまとめは、ゼファーはスピードあるということ。1200-2000まで走れるということ。確かに、いろんな方のいろんな思いと、そして関係者の方のひとつひとつの選択肢がゼファーをココまで走らせたんだと思いました。確かにスプリンターとしてのGI勝ちはないけれども、それに匹敵する記録が残っているんです。

 翌日、土井社長に連れられてレックススタッドを訪問しました。そして念願の「ヤマニンゼファー」ご本人とお会いしたわけです。正直言って、かなり、とても、感動でした。ヤマニンゼファーは広い放牧場の真ん中へんで草を食んでいました。我々の方に寄ってきて、そして写真を撮ることが出来ました。かなり嬉しかったです。
 自分の側にいた「ゼファー」という名前が徐々に大きくなって、遂に自分の側にいる実体になった。
 とても強い馬っていう訳ではなく、隣の放牧地にいたジェニュインとの駆けっこして、そんでもってジェニュインくんは向かっていこうとすると遠くへ走り去ってしまったなんとも弱そうなゼファーでしたが、私にとっては「強い」ゼファーなんです。普段は手の掛からない馬だったらしいゼファーですが、その産駒たちは関係者の期待に応えて頑張っています。2000年秋にはサンフォードシチーが武蔵野S(G3)を勝ち、順風満帆。これからも父ちゃんとして頑張って欲しいと思いました。

種牡馬時代のヤマニンゼファーと管理人

種牡馬時代のヤマニンゼファーと管理人


※ちなみに土井社長との話から私がサーバー系の講師をしているという話題で、「ヤマニンベン牧場のホームページ」を作ってもいいよっということになり、「ヤマニン倶楽部」ができあがりました。ありがとうございます、関係者のみなさま!

 その後錦岡牧場を訪問させて頂き(新和は時間の関係でご訪問できず、無念(T^T))、ゼファーのお母さん・ポリシーにも会うことが出来ました。奥様からゼファーの仔でミラクルやリスペクトの妹ルシダにとても期待しているというお話を伺いました。実はその後雑誌でホームページを紹介してもらって「今年の期待2歳馬は?」という問いに間髪入れずに「ルシダ!」と答えてのは私です。雑誌の左上にガーンと載っていてびっくりしたよ~。

「そよ風、と呼ぶには強烈すぎた」そして「風は再び……」

 ゼファーが競馬ファンに支持されるのは、やはり父仔2代に渡る距離の壁への挑戦、競馬の本道への挑戦、そして壮絶な叩き合いになりながら決して抜かせなかった天皇賞・秋があるから。あるいは今回書けませんでしたが、田中勝春騎手、柴田善富騎手という二人の騎手に初めてのGIをプレゼントしたこと。ヤマニン軍団に3個目の、錦岡牧場に2個目の盾を獲得させたこと……。ゼファーは強かったけれども、関係者の方もいろいろな選択肢の中からゼファーにとって最良の結果を選んだ結果だということ。あるいは亡きオーナーの一押しがあったかも知れないということ……。
 友人のKosさんとポスターの話をしていました。ステイゴールドのコピーはともかく、どれもかっこいいよね。そしてゼファーのコピーが「そよ風、と呼ぶには強烈すぎた」だと知りました。確かに、力強すぎる走りは、そよ風、などとは呼べないかも知れない。でも、風は消えてなくなるものではなく、また静かに吹き始めるものですよね、って。
 西風が、再び。
 種牡馬としてのゼファーのお話は、また改めて(^^)

なおやとゼファーとりゅう

 

(2001/04/29)

14年前って、一言で言うと短いですが、長い時間が経っていますね。
私の願いはむなしく、ゼファーはシンジケートを解散し、種牡馬を引退。
現在は、錦岡牧場新和育成場で、功労馬としての日々を送っています。
自らを応援してくれたいたファンたちを出迎える日々です。
生産者の土井睦秋社長はじめ、スタッフの皆さんに暖かく見守られています。
写真も撮らせてもらえるようになったことが、以下の近年の写真で判りますね(^^ゞ

 

ヤマニンゼファー

ヤマニンゼファー

功労馬ヤマニンゼファー功労馬ヤマニンゼファー

 

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