10歳になったマイヒーロー――CKさんによるヤマニンマヒアへのメッセージ。是非!

CKさん(@CK_Ariaze)
2022年11月、いつものように週末のレース情報をチェックしようとネットケイバをスクロールしていた僕の指は、日曜日の障害未勝利戦で止まった。
福島競馬第4レース、4枠4番にヤマニンマヒア。鞍上は石神深一。
すぐにマヒアの戦績詳細を開いた。36戦3勝でクラスは準オープン。
走ってきたのは芝とダートのマイルから二二まで、勝ち鞍三つはすべて芝の千八。
「芝の千八、ダートのマイルで切れる脚のある馬が強い」という西谷誠理論が脳裏をよぎった数秒後には、僕の気持ちは固まっていた。
「観に行こう」
すぐに現地の天候を調べた僕は入場券を手配した。

翌朝、僕は極寒の東北自動車道を愛車に跨ってひたすら北上していた。
途中二回の休憩を挟み、なんとか4レースのパドックに間に合った僕は柵にへばりついて無心でシャッターを切った。
パドックを回るヤマニンマヒアは落ち着いている。「止まれ」の合図で出走馬8頭が足を止め、ジョッキーが駆け寄ってくる。
鮮やかな水色腕赤三本輪の勝負服を着た石神騎手が軽い身のこなしでマヒアに跨り、誘導馬に続いて本馬場へと向かっていく。
パドックに押しかけていた他の観客と同じように僕も馬場に向かう。
以前生のジャンプレースを観戦するために福島競馬場に来てから、どこで観戦するかは決めていた。
スタンド前ホームストレートの置き障害前。
最後の攻防は見れないものの、スタート直後と襷コースを回った最終直線で左右から飛越する馬を間近で見られる迫力満点のポジションだ。
本馬場入場の音楽と共に8頭の出走馬が芝コースに姿を表す。
石神騎手に導かれたマヒアはまさに僕の目の前の竹柵障害の前でしばらく足を止め、観客を一瞥してゲートの方へ駈けていった。

障害一般競走のファンファーレが冬空に響く。
ゲートが開いた。もう後戻りはできない。人馬に残されたのは完走するか競走を中止するかの二択。
五分のスタートを決めたマヒアがこちらへ駆けてくる。
ザザザザザザザッ
最初の障害を難なくクリアしたマヒアは好位につけて向こう正面へ。
襷コースに入り、ターフビジョンに映るマヒアは少し手前ぎみにグリーンウォールを飛越した。
バンケットの登りで距離を詰め、ダンツキタイをかわして二番手にあがる。
順回りの向こう正面に置かれた竹柵を飛び越え、逃げたメイショイウキリモンをとらえた。
仕掛けるのが早すぎないか?
僕の心配をよそに3、4コーナーをマヒアは先頭で回り、そのままゴールした。
折しもコロナ禍。大きな声での応援は遠慮するように再三のアナウンスはあったが、僕はこらえきれずに叫んだ。
本場に比べると随分とこぢんまりとしたウィナーズサークルに姿を表したマヒアと石神騎手に
「おめでとうございます」
と声をかけたのを今でも覚えている。

帰りの東北道の渋滞や寒さは何でもなかった。
僕の頭のなかはマヒアの次走がどこになるのかでいっぱいだった。
年内のオープンクラスは12月の阪神か中二週のイルミネーションJSしかない。
翌日、出勤した僕は中山新春ジャンプステークスの日に休暇申請をした。
年が明け、凍てつくような寒さのなか、先日引退したばかりのジャンプレースの「絶対王者」オジュウチョウサンのパネルを横目に見ながら地下道を通って入場の手続きを済ませた。
予想どおり、ヤマニンマヒアの入障二戦目は年明け最初の関東オープン特別戦である中山新春ジャンプS。
春のジャンプ重賞戦線に名乗りをあげるためにも重要なステップレースだ。
冷たい空気のパドックにおなじみの白地にピンク――牡馬につけるにいくぶん可愛らしい辻厩舎のメンコをつけたヤマニンマヒアが姿を現すと、僕はカメラを向けて夢中でシャッターを切った。
それから1年、ヤマニンマヒアは石神騎手を背に後の障害重賞馬であるダイシンクローバーやイロゴトシを相手に善戦し、夏の阪神で障害二勝目を挙げた。

秋の始動戦、秋陽ジャンプステークスの結果は5着。
入線後ジョッキーが下馬したという知らせが気になったが、レコード決着なうえに暑かったし軽い熱中症かなにかだろう。
骨折休養明けの初戦で掲示板なら十分な成果だ。
暮れの大障害は怪しいが、今年と同じく中山新春か小倉京都辺りのオープン特別を使って賞金を加算して――暮れには厳しいけれども来年には春とともに優勝レイを肩にかけて凱旋するマヒアの姿がすぐに浮かんだ。
その報せを受けたのは、乗馬クラブで友人と競馬談義をしていたときだった。
「CKさんにはお伝えする必要があると思ったので連絡しました」
ヤマニン冠馬の応援で交流のあったヤマニン倶楽部さんからのメッセージだった。
「覚悟はできています。教えてください」
深呼吸を何度かしてから返信した。
「ヤマニンマヒアは引退となりました」
僕は頭が真っ白になった。
一緒にいた友人にものすごく心配されたが、詳細は話せなかった。
風呂に入った僕は声を出して泣いた。
こんなことなら仕事をサボってでも府中に応援にいきたかった。阪神で後続を突き放して快勝する姿を目に焼き付けたかった。
翌朝、レッスン前に馬場に放牧される馬たちを見ながら思いきってインストラクターに訊ねた。
「ここで馬の面倒を見てもらうとしたら、どれくらいのお金がかかりますか?」
「そうですね、半自馬という形であれば――」
おおよそ月8万円があれば、第二の馬生を歩ませられる。
家に帰って、行ったことのある乗馬クラブとリトレーニングを行っている施設を片っ端から調べた。
いずれも自分の足で訪問して、馬に跨がり厩舎を見学させてもらったことのある施設だ。
輸送費用、リトレーニングにかかる期間とその間の預託料――それらの情報を集めてはじき出した金額は三年間で七〇〇万円、一番楽観的な見積もりでだ。
それに僕になにかあったときのために最低二人は信頼できる協力者も必要だ。
金は定期をすべて解約して実家に戻り、生活を切り詰めればどうにか捻出できる。
もし自分の馬を所有する機会があるならグレイソヴリンの入った芦毛かヤマニンの馬と決めていた。
一年間応援し続けた馬を救えるなら人生最初で最後の勝負をかけてもいい。
オーナーサイドへのコネのない僕はすがるような思いで上記の試算と計画をまとめたレポートを書き上げ、京都行きの新幹線に飛び乗った。
マヒアの無念を晴らすかのようにウルスが快勝して準オープンに駒を進めた日、ヤマニン倶楽部の祝勝会の場でこう切り出した。
「マヒアは……どうなるんでしょうか?」
その後の顛末についてはヤマニン倶楽部さんに寄稿した記事「ヤマニンマヒアに会いたい」にあるとおり。法政大学馬術部というヤマニン軍団にゆかりのある場所を得たマヒアは同じ錦岡牧場生まれの仲間に囲まれて乗馬としてのセカンドキャリアを積み、ついには競技会で入賞するほどまで回復した。
残念なことに僕自身はこの記事を書いている時点では競技会でのマヒアを見に行けてはいないが、法政大学体育会馬術部のSNSでのんびりと過ごす彼の姿を見ては癒やされている。

ヤマニンマヒアは今日、10歳の誕生日を迎えた。この文を持って結びの言葉に代える。
Happy birthday, my HERO.
これからの第二の馬生が、幸せなものでありますように。

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