~ヤマニンゼファーの主戦として刻んだ安田記念、天皇賞(秋)~
JRAは9月15日、柴田善臣騎手が現役を引退すると発表しました。
柴田騎手本人から騎手免許の取消申請があり、9月18日付で騎手免許が取り消されます。引退式は11月1日に東京競馬場で行われる予定で、その後はJRAアドバイザーに就任します。
1985年のデビューから42年。JRA通算2万2311戦2341勝、重賞96勝、GI9勝。60歳までターフに立ち続け、日本競馬の一時代を支えてきた名手が鞍を置くことになりました。
16日に美浦トレーニングセンターで行われた記者会見では、右肩の負傷だけでなく、以前から抱えていた股関節などの痛みにも触れ、「もう少し続けたい気持ちはあった」と明かしました。長いリハビリを経て再び競馬へ戻ることの難しさを考えた末の決断だったといいます。
ヤマニン倶楽部にとって、柴田善臣騎手と聞いて真っ先に思い浮かぶのは、やはりヤマニンゼファーです。
1993年春、京王杯スプリングCで初めてコンビを組むと、そのまま勝利。続く安田記念では好位から早めに先頭へ立ち、追撃を振り切って連覇を達成しました。この勝利は、柴田騎手にとって騎手生活初のGI制覇でした。
前年の安田記念で田中勝春騎手に初GIをもたらしたヤマニンゼファーは、翌年には柴田善臣騎手にも初めてのGIタイトルを届けたことになります。二人のGIジョッキーが誕生した瞬間、その鞍下の馬はともにヤマニンゼファーでした。
そして同じ1993年秋。
舞台は東京芝2000メートル、天皇賞(秋)。短距離・マイルで頂点に立ったゼファーにとって、新たな距離への挑戦でした。
直線ではセキテイリュウオーとの激しい叩き合い。一度前へ出られかけながら、ゼファーはもう一度伸びました。長い東京の直線を最後まで競り合い、結果はハナ差。
ヤマニンゼファーと柴田善臣騎手は、安田記念に続く二つ目のGIタイトルをつかみました。
柴田騎手はレース後、「いい馬に巡り合えてプレゼントしてもらったようなもの」とゼファーへの感謝を語っています。

柴田善臣騎手のGI勝利は、その後タイキフォーチュン、オフサイドトラップ、キングヘイロー、オレハマッテルゼ、ナカヤマフェスタ、レインボーダリア、ジャスタウェイへと続きました。しかし、GI9勝の最初の二つは、いずれもヤマニンゼファーでした。
| 年 | レース名 | 騎乗馬 |
|---|---|---|
| 1993年 | 安田記念 | ヤマニンゼファー |
| 1993年 | 天皇賞(秋) | ヤマニンゼファー |
| 1996年 | NHKマイルカップ | タイキフォーチュン |
| 1998年 | 天皇賞(秋) | オフサイドトラップ |
| 2000年 | 高松宮記念 | キングヘイロー |
| 2006年 | 高松宮記念 | オレハマッテルゼ |
| 2010年 | 宝塚記念 | ナカヤマフェスタ |
| 2012年 | エリザベス女王杯 | レインボーダリア |
| 2014年 | 安田記念 | ジャスタウェイ |
長く第一線で活躍しながら、柴田騎手は馬との向き合い方を大切にしてきた騎手でもありました。
引退会見では、若い頃にホクトヘリオスから「馬を信用すること」を学んだと振り返っています。ヤマニンゼファーの安田記念でも、馬の力を信じて勝負したことを語っていました。馬の力を引き出し、その馬自身の走りを尊重する。その姿勢もまた、42年という長い騎手生活を支えたものだったのでしょう。
引退後はJRAアドバイザーに就任する予定です。
会見では、若い騎手たちに「昔の流れ」も伝えながら、現在の競馬に合った助言をしていきたいとの考えを明かしました。42年間で積み上げてきた経験が、これからは次の世代へと受け継がれていきます。
ヤマニン倶楽部としても、ヤマニンゼファーとともに残してくれた二つの大きな勝利に、改めて敬意と感謝を送りたいと思います。
1992年の安田記念をともに制した田中勝春騎手はすでに騎手を引退し、今回、1993年の安田記念と天皇賞(秋)を制した柴田善臣騎手も鞍を置きます。
これで、ヤマニンゼファーをGI勝利に導いた二人の騎手は、ともに現役騎手ではなくなります。
30年以上が過ぎても、東京の直線を駆け抜けたゼファーと柴田善臣騎手の姿は、ヤマニンの歴史から消えることはありません。
42年間、本当にお疲れさまでした。
そしてこれからはJRAアドバイザーとして、その経験を次の世代へ。
![[News]柴田善臣騎手 引退!](https://i0.wp.com/yamanin.net/wp-content/uploads/2026/09/20260916_News_Yoshitomi-JK.png?fit=800%2C460&ssl=1)
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