歴代のヤマニン軍団でもっとも輝かしい成績を残したヤマニンゼファーが、2009年をもって種牡馬生活を引退しました。
名マイラー・ニホンピロウイナーの最高傑作としても名高いヤマニンゼファーは、1988年に新冠・錦岡牧場で生を受けました。
1992年 安田記念(GI)で初重賞・初GI制覇を成し遂げると、翌年1993年 安田記念(GI)も制し、2連覇を達成。
距離延長が不安視されるなか、陣営は秋の天皇賞(GI)を目標に掲げ、驚異の精神力で府中の長い直線を駆け抜け、GI3勝目、軍団に天皇賞3勝目、新冠・錦岡牧場に初の栄冠をもたらしました。
スピードにおいてもスプリンターズS(GI)において2年連続2着の成績を残しており、勝ち馬はそれぞれニシノフラワー、サクラバクシンオーと、破れたとは言え高い次元での戦いであったことが察せられる。
1993年に唯一のGI2勝馬だったにも関わらず年度代表馬に選出されず(ビワハヤヒデが選ばれました)、短距離路線はまたも軽視されたと物議を醸したこともありました。
レックススタッドで種牡馬入りすると、初年度産駒から重賞・武蔵野S(G3)勝ち馬・サンフォードシチー、1996年産からは障害重賞馬ヒゼンホクショー(東京AJ・JG3)、忘れな草賞馬エフテービルサド、福島民報杯馬ラムジエットシチー、2000年産からはニューイヤーカップ馬パッションキャリー、園田重賞馬マタカッタなどを輩出しています。
当時種牡馬としてまだ評価の定まっていなかったブラッシンググルームと種付けするために祖母ヤマホウユウを米国へ送り、その仔ヤマニンポリシーと日本のスピード馬ニホンピロウイナーによって生まれたヤマニンゼファーは、錦岡牧場の成功事例として、今も軍団の文化の中に息づいています。
ヤマニンゼファーは既にレックススタッドを退厩し、錦岡牧場で功労馬として繋養されています。
長い間、お疲れ様でした。
(書きたいことがいっぱい出てくるから、あとはコメントに改めて書くことにします。)
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