【雪花石膏】アラバスタ、想いと芦毛の血統を繋ぐ……

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既報通り、2013年8月、重賞2勝馬ヤマニンアラバスタが12歳でこの世を去りました。最期は芦毛特有の病気であるメラノーマ(悪性黒色腫)との闘いでした。
ヤマニン倶楽部では在りし日のヤマニンアラバスタを偲び、本特集を掲載致します。もしよろしければ、長文となりますがお付き合い頂きますとともに、ヤマニンアラバスタたちへのメッセージを頂戴できればと思います。これまでサイトやTwitter等を通じて頂きましたコメントは、ヤマニン倶楽部が責任を持って関係者の皆さまにお伝え致します。

 

◆重賞初制覇の影で、交錯する想い

2005年8月28日、今思えばいろいろな想いが交錯した日でした。
デビューからの道のりが、決して万全とは言えなかったことを思い出さずにはいられなかったためです。

2003年、新潟でデビューしたヤマニンアラバスタは、18頭立て16番人気と全く相手にされていませんでした。しかし鋭い末脚を見せて7着し、その後の活躍の片鱗を見せたのです。馬体重は466kg。3戦目で見事に初勝利を飾ったものの、人気は7着と決して高くはなかった。アラバスタの実力を見せつけたのは、2003年11月16日 東京競馬場で行われた赤松賞(500万下)でした。35.7という最速のあがりで前を行く馬たちを見事に飲み込み、オープン入りを果たしました。暮れの阪神ジュベナイルフィリーズ(GI)に遠征して7着し、関東に戻った牡牝混合戦・ホープフルS(OP)で後のAJCC馬エアシェイディにクビ差の2着に迫ってみせました。3歳クラシックロードでの活躍を、誰もが期待するようになっていきました。距離伸びてこその馬、とも。しかし一方で、馬体重は444kgまで絞られていました。

2003年 阪神JF(GI)

 

◆馬体細化に悩む春のクラシックロード

休養を挟んで臨んだクラシックロード初戦・フラワーカップ(G3)では442kgでの出走と、放牧明けにも関わらずマイナス馬体重で出走。後の桜花賞(GI)・ヴィクトリアマイル(GI)とGI2勝を誇るダンスインザムードに1馬身半差の2着で、クラシックロードへの切符を手に。
ますます期待が大きくなるなかアラバスタの馬体細化は進み、桜花賞(GI)9着では428kg、オークス(GI)3着では430kgと関係者のプレッシャーは非常に大きかったものと思われます。一方で、距離延長となったオークスでは3着と激走! クラシックで掲示板に乗り、秋へ大きな期待が掛けられました。(この時、掲示板に乗っていた馬が凄いです。ダイワエルシエーロ、スイープトウショウ、ヤマニンアラバスタ、ダンスインザムード、ヤマニンシュクルでした)

2004年 優駿牝馬(GI) ヤマニンアラバスタ

 

◆紫苑ステークス、秋初戦で躓く……

細くなる馬体で激走する芦毛馬アラバスタに、注目が集まるのは必然であったかも知れません。もちろん、秋への期待も大きなものになりました。関東を代表するクラシック候補。鋭い末脚と芦毛が魅力。
夏の放牧後、関東の代表馬を決める紫苑ステークス(OP)に出走したアラバスタは、442kgと春よりも若干馬体が回復し、勝利はほぼ確定的と思われました。ファンも1番人気に推し、レースでも後方から進み、35.3の最速の上がりで1着入線! 秋の飛躍は約束されたかに見えたものの、審議の青ランプが点灯し、長い審議が待っていました。アラバスタは、ヒカルウェイブの進路を妨害したとして5着降着処分となり、幻の3勝目となってしまいました。馬には責任がないとはいえ、OPレースでの勝ち星を失ったことは、後々のアラバスタに大きな負担となってしまいました。
1つは、主戦騎手だった江田照騎手を降板させることになったこと。江田照騎手も関係者に謝罪していたものの、責任の所在は明らかにしなければいけないだろうという関係者の意向もあり、アラバスタは信頼できるパートナーを失うことになってしまいました。
もう1つは、本賞金を加算できなかったこと。順調に見えた秋の入り口は波乱の幕開けとなってしまい、秋華賞(GI)では柴田善騎手の手綱で5着、エリザベス女王杯(GI)では松永幹騎手の手綱で11着に沈んでしまい、後にローテーションが自由なに組めないことになりました。
大きな期待と共に始まった3歳クラシックロードは、1勝も掴むことができず、放牧に出されることになってしまいました。

2004年 秋華賞 (左)ダンスインザムード (中)シュクル (右)スイープトウショウ

 

◆充実の4歳、初重賞制覇!

4歳は、2月のアメジストS(準OP)から復帰した。鞍上には江田照騎手が復帰し、陣営の結束がうかがえたものの、人気に反し、4着。以降、準OPで5着、14着、6着と結果を残せず、遂に1000万下に降級する。勝たなければならない1勝を失ったことが、ここまでペースを乱してしまうものかという苦しい時代でした。馬体重も430kg代で推移し、万全とは言えなかったかも知れませんでした。

さらに放牧を挟んだ2005年7月、デビューの地・新潟の自己条件戦に出走したアラバスタは、450kgで出走。確実に成長を感じさせ、また白さを見せた馬体は見事に出来上がり、34.3の最速のあがりで快勝! 準オープン入りを果たすと、陣営は勇躍・新潟記念(G3)に格上挑戦することを決める。このレースでアラバスタは、52kgの軽ハンデ、456kgのプラス体重、3番人気ながら、直線グイグイと白いゴム鞠のように末脚を伸ばし、遂に重賞制覇を飾った。
順調に見えるアラバスタの戦歴も、重賞初制覇の新潟記念を基準として見ると、期待に比して努力の戦いだったことが判る。
関係者のコメントが、それを証明している。

江田照騎手
「今日はゴーサインを出したときの反応がすごく良かったですね。昨年は僕が(紫苑Sで)降着にしてしまい迷惑をかけましたが、これで少しは借りを返せたと思います」

 

星野忍調教師
「長い輸送があると身体が減ってしまう馬なんですが、長めの稽古をしても今日は+6キロだったのでホッとしました。」

蛯名利弘調教助手(当時)とヤマニンアラバスタ
蛯名利弘調教助手(当時)とヤマニンアラバスタ

 

 

◆牧場の厳しい時もともに歩んだニシキノ牝系

アラバスタを生産した錦岡牧場は、ヤマニン軍団の主幹牧場として、生産・育成の中枢を担っています。錦岡牧場は、先代オーナー・土井宏二氏の弟にあたる土井重雄氏が苫小牧の錦岡に開いた牧場です。都市計画に伴う牧場移転時に、現社長・土井睦秋氏に引き継がれ、新冠町に移転、現在に至っています。苫小牧・錦岡牧場からはヤマニンウェーブ、新冠・錦岡牧場からはヤマニンゼファーという2頭の天皇賞馬を輩出した、伝統ある中堅の生産牧場です。

アラバスタが新潟記念を勝利した時、土井睦秋氏は安平町の社台ファームで吉田照哉氏とテレビ観戦していたそうです。勝利確定後吉田氏に、何故ゴールデンフェザントを種付けしたのか尋ねられ、「芦毛が欲しかったから」とコメントしたそうです。
ゴールデンフェザントは、吉田善哉氏所有馬としてジャパンカップを勝利し、社台スタリオンステーションで種牡馬入りした。しかし結果ははかばかしくなく、初年度産駒・1994年生産のトキオエクセレント(青葉賞・G3)で脚光を浴びたものの、気性難の産駒が多く、結果を出せていなかった。アラバスタは、2頭目の重賞勝ち馬となった。錦岡牧場で走る馬は一般的な種馬でないことも多い印象があり、吉田氏は理由が知りたかったのかも知れない。
土井氏の脳裏には、父ゴールデンフェザントではなく、母ヤマニンリコールがあったのでしょう。母ヤマニンリコールは、函館記念(G3)2着もある、土井氏にとって思い入れのある牝系です。

ニシキノ-ヤマニンアラバスタ

この牝系は、苫小牧・錦岡牧場から続くミスカレッスに遡る牝系です。
土井氏は以前、メディアなどで、新冠に移転してからはなかなか結果が出なかった。そんななか走ってくれたのがデイリー杯3歳ステークス(G3)を勝ったヤマニンファルコンと、シンザン記念(G3)を勝ったヤマニンアーデンです、と。錦岡牧場とヤマニン軍団は、1970年代になかなか結果を出すことができませんでした。工夫を重ねながら誕生したのが、ファルコン・アーデンの2頭であり、ニシキノ産駒なのです。
アラバスタは、そんなニシキノ産駒ヤマニンカゲロウの孫にあたります。苦しいときに活躍してくれた血統、という想いもあるのでしょう。

実はヤマニン倶楽部をインターネットに公開した当初、代表的な重賞勝ち馬にファルコンとアーデンが掲載されておらず、ご指摘を頂戴したことがありました。後に土井氏は、とても思い入れのある血統だから、と語ってくれました。

ヤマニンリコール
ヤマニンリコール

 

◆東京の大舞台で、3連勝を達成

格上挑戦で重賞初制覇を飾ったアラバスタは、いよいよビッグタイトル獲得へ向けて、中央場所に転戦する。東京競馬場で開催された府中牝馬ステークス(G3)です。秋の大一番であるエリザベス女王杯(GI)へ向けて、絶好の腕試し。1番人気で迎えたこのレースでも、見事な33.2の末脚を炸裂させ、2着に1馬身半差をつけて快勝! 同期の桜花賞1-2着馬ダンスインザムードとアズマサンダース、クイーンS勝ちのレクレドール、昨年の同レースの覇者オースミハルカ、牝馬三冠馬スティルインラブらを従え、重賞2連勝を飾りました。今思えば、アラバスタが一番輝いた時期でした。

江田照騎手
「僕もこれで600勝なので二重の喜びです。次のエリザベス女王杯に向けて楽しみになりました 。この馬ではご迷惑をかけたこともあったので、今日も何とかしたいと思っていました。これからも頑張りますので応援よろしくお願いします」

 

星野忍調教師
「夏場のいい状態をそのままキープしているし、この1年で本当に力をつけた。スタッフや江田もこの馬のことをよく理解してくれている。去年とは違っていい形で女王杯に向かえるね」

2005年 府中牝馬S ヤマニンアラバスタ

 

◆挑戦は、見えない場所でも続いていた……

この時期のヤマニン軍団のエースは、GI馬ヤマニンシュクルでした。
シュクルはアラバスタと同期で、クラシックロードも一緒に走り抜けた仲でしたが、秋華賞(GI)後に屈腱炎を発症し、1年近くの休養を挟んでいました。アラバスタが勇躍臨んだ2回目のエリザベス女王杯(GI・2005年)は、シュクルにとっては長い休養明けの挑戦でした。屈腱炎を「走らせ続ける」ことで復帰させた関係者の努力は、この後、アラバスタにも繋がっていきます。
同世代牝馬限定GI皆勤賞となるこのレースは、シュクル4着に対してアラバスタ8着と精彩を欠く結果となってしまいました。スタート直後に不利を受けて最後方からの競馬となってしまったのでした。末脚を伸ばして8着と入着したとしても、期待に対するあまりの不甲斐ないレースぶりに、陣営ではジャパンカップ挑戦も語られるほど、期待はとても高いものでした。
しかし、陣営には紫苑Sでの降着の記憶がありました。賞金を持っていないと、自由にローテーションを組むことができないのです。そこでターコイズS(OP)へ向かうものの、1番人気ながら13着と大敗し、放牧されることになりました。

復帰は翌年の春、2006年3月の中山牝馬ステークス(G3)だった。万全の調整過程とみられたが、煽ってしまい後方からのレースとなり、追い込むも3着(勝ったのは僚馬シュクルだった)。

2006年 中山牝馬S ヤマニンアラバスタ

次走目標としているヴィクトリアマイル(GI)に挑戦するも、1600mはやはり鬼門なのか、12着に敗退する。今ふり返れば、このレースがGIへの最後の出走になりました。
以降、アラバスタは重賞レースに挑戦し続け、34秒台の末脚を繰り出すも、なかなか結果に結びつきませんでした。

2006年 ヴィクトリアマイル(GI) ヤマニンアラバスタ

実は、アラバスタには一度、引退の危機がありました。
2008年3月の中山牝馬ステークス(G3・小野騎手)で9着に敗れると、放牧に出されました。事は牧場で起こっていたのです。アラバスタは体調を崩してしまい、なかなか本調子に戻ってこなかったのです。牧場サイドではいろいろと手を尽くしたそうですが、復帰を諦めるほどだったそうです。しかし最後に、「体内時計をリセットしよう」ということで馬房へ入る光を調整したところ体調が戻り、乗れるほどに復調を果たし、最後のターフに戻ってきたのでした。

とはいえ、以降4戦は2桁着順と結果に結びつかず、2008年11月9日 アルゼンチン共和国杯(G2)10着を最後に、引退を決めたのでした。

2008年 中山牝馬S(G3) ヤマニンアラバスタ。僚友メルベイユの重賞勝利も見守りました。

39戦5勝(5-3-4-27)、総収得賞金2億1600万2000円。

主な成績、2005年 新潟記念(G3)優勝、2005年 府中牝馬ステークス(G3)優勝、2004年 フラワーカップ(G3)2着、2004年 優駿牝馬(GI)3着、2006年 中山牝馬ステークス(G3)3着、2007年 新潟記念(G3)3着、2003年 赤松賞(500万下)優勝。
とても多くのファンに愛され、馬体はすっかり白くなっていました。

 

◆期待された繁殖生活とメラノーマの影

2009年、生まれ故郷でもある新冠・錦岡牧場に繁殖入りしたアラバスタは、関係者の大きな期待を背負っていました。
錦岡牧場の繁殖牝馬のなかでも、特にアラバスタはサンデーサイレンスの血が全く入っておらず、種付けにおける自由度が高いこともあり、関係者のなかでは三冠馬ディープインパクトを種付けする計画もあったほど期待されていました。
2009年にタイキメジャーを種付けされたアラバスタは、翌年2010年、芦毛の牝馬を産み落とします。後のヤマニンアドーレです。関係者たちの熱い期待を注がれて育つことになります。土井氏も何度も馬を観に行き(繁殖場と事務所は離れている)、ファンたちもその動向をずっと見守ってきました。

ヤマニンアラバスタと初仔
ヤマニンアラバスタと初仔
ヤマニンアドーレとシューヘーくん(ヤマニンアラバスタの初仔)
ヤマニンアドーレとシューヘーくん(ヤマニンアラバスタの初仔)

しかし、予想以上に早く襲ってきたのが、芦毛に特有のメラノーマでした。

メラノーマは芦毛の馬に特にでる病気で、しかも全ての馬が同じような症状ができる訳ではありません。徐々に進行する場合もあれば、急に命を奪うこともある病気です。母リコールも、メラノーマに倒れており、アラバスタは4頭しかいなかったリコール産駒の最後の一粒でもあります。
私(なおや)は牧場で、アラバスタにメラノーマが発症していると聞いた時のことを覚えています。今すぐどうなるという訳ではないし、場合によっては症状を緩和させられる(切除する、という意味だと思います)から、という言葉を掛けて頂きました。しかし、私も牧場に出入りするようになって15年弱です。その言葉の意味は理解しているつもりです。いつそうなるか、判らない、ということだと……。

今年のGWにアラバスタと会ったときは、決して体調が良くなかったのかな、と今では少し考えてしまいます。残念ながら私は、馬とほとんど過ごしたことのないシロートです。とはいえ、関係者から聞いた話はとても哀しいものでした。昨年受胎していた子は、産道にできたメラノーマのために流産してしまったこと……、今も病と闘っていること……。
でも、関係者のみなさんは明るく対応して下さっていたと思います。
馬房の前で写真を撮りながら、また来年会いに来るからね、と……。

2013年 厩舎内のヤマニンアラバスタ
2013年 厩舎内のヤマニンアラバスタ
2013年 厩舎内のヤマニンアラバスタ
2013年 厩舎内のヤマニンアラバスタ

 

◆ヤマニンアラバスタ、逝く……

帰省していた実家から東京に戻った翌日、友人たちといっしょに錦岡牧場生産馬ハノハノの応援のため、WINS錦糸町で落ち合いました。その日、小倉8Rでゼファー最後の産駒となるだろうヤマニンアルシェが低評価を覆し、単勝7980円という大勝利を納め、ハノハノも6着と健闘しました。前日はヤマニンリップルが準OPでいいところを見せていました。私は関係者の皆さんに、アルシェのおめでとうメールと、リップルのこれからの活躍に期待するメールを送っていました。

帰宅するとメールが入り、後ほど関係者の方と電話で、2つのことを告げられました。

・アラバスタが8月にメラノーマで亡くなったこと
・リップルが屈腱炎を発症し引退し、繁殖にあげること

「いいこともあれば、悪いこともあるね」

これまで関係者の方から、何度も聞いたことのあるセリフ。だけど、重い重いセリフ。

「悪いことばかりが続くわけじゃない」

アラバスタの最後も、教えて下さいました。
メラノーマの治療は進んでいたけれど、多分肝臓も犯されていたようだ、ということ。
最期は食も細くなってしまったけど、リンゴは食べていたこと、など……。
私はシロートだから判らないけど、あの暖かい体温と一緒にいたから、出てくる言葉なんだろうなと思って聞いていました。
私が知っているのは、せいぜい乗馬クラブの馬たちだ。最期を看取ったことなんてない……。
きっと、今までと同じように、アラバスタは最期まで我慢強かったんだろうなと、なぜだかそう思いました。

「でも、アドーレがいますよね?」

私は、聞かずにはいられなかった。「不幸中の幸い」という言葉が頭をよぎったけど、使っていいか判らなかった。

「うん、勝てなかったらすぐに繁殖にあげるつもり」

とだけ、関係者の方は語ってくれました。
ニシキノ牝系は、数が少なくなってきています。錦岡牧場を支えた血統だ。できることなら、途絶えて欲しくないな……。

「アラバスタにはたくさんのファンがいます。
現役時代には、たくさんの応援幕も見ました。
このこと、ヤマニン倶楽部に載せてもいいですか?」

錦岡牧場とヤマニン軍団が、ファンをとても大事にしていることは、身をもって知ってます。
でも、ヤマニンアラバスタはヤマニンアラバスタという馬として、たくさんのファンがいる。
だからこそ、きちんと伝えないといけない、と思いました。そして予想通りの答えを頂きました。

重賞2勝馬ヤマニンアラバスタが、亡くなりました。
あたたかいファンに恵まれた、芦毛の頑張り屋さんでした。

合掌。

錦岡牧場 新和育成場 入口
錦岡牧場 新和育成場

(2013年8月26日 なおや)

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なおや(運営)

ヤマニン倶楽部の管理人です。

4 thoughts on “【雪花石膏】アラバスタ、想いと芦毛の血統を繋ぐ……

  • 2013年8月29日 at 12:04 AM
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    私も勝利を目の当たりにしたのは府中の赤松賞でした。
    (その頃はへいさんとは知り合ってませんでした)

    オークス3着も目の前で見ましたが、残念ながら府中牝馬Sの優勝は観戦できませんでした。
    繁殖にあがって、強い仔を産んでくれると期待していたところだったので悲しいお知らせですが、お疲れ様でした。ありがとうアラバスタ。

    アドーレは苦戦していますが、まだまだこれからです。
    今週も出走するようなので、ぜひお母さん分も頑張ってほしいです。

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  • 2013年8月27日 at 6:14 PM
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    アラバスタさんお疲れさまでした。リコール母さんとこに行くのが早くなってしまいましたね。とても寂しいです。

    アドーレちゃんの下の仔の情報がなったので、アラバスタさんどうしたのかな?と思っていたら、病気だったんですね。かわいそうです

    アドーレちゃん、アラバスタさんの様に強い女子になって欲しいです。そして、競走馬として頑張ったあかつきには、芦毛たちをたくさん産んで欲しいです。

    アラバスタさん、たくさんの思い出をありがとう。忘れません。さよなら

    Reply
  • 2013年8月26日 at 8:58 AM
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    アラバスタ大好きでした。
    偶然府中で勝利を目の当たりとした赤松賞。
    何故か馬単2着流しという失礼な買い方をしていました。

    それもあり、珍しい血統の芦毛という事もプラスしてその後は気になって気になって仕方のない存在になっていました。

    引退までの出走したレース全て応援してました。

    たくさんのこどもを作って幸せな余生を期待していましたが、残念です。

    でも私の心の中にはいつでも紫がかったグレーの馬体が思い浮かんできます。

    ありがとう!

    Reply
  • 2013年8月26日 at 6:08 AM
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    早逝を惜しみます。
    競走成績が長く活躍されて、
    もちろん、重賞勝利なども感慨深いのですが、
    敗れたとはいえ、
    自身の声援ボリュームが大きかったのは、
    次の3レースです。
    ・オークス(優駿牝馬)
    …生観戦で唯一複勝圏内
    ・秋華賞
    ・騎手乗替だったアルゼンチン共和国杯
    いずれも頑張ったなぁ〜の感想を抱いた内容
    惜しかったのは関西遠征で結果を出せなかったこと…

    アラバスタの頑張り屋さんの魂が、底力が有る血統の継承という形で実ることを祈ります。

    Reply

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