2018年12月7日、新冠・錦岡牧場 新和育成場で余生を送っていた1994年 JRA最優秀3歳牝馬ヤマニンパラダイスが死亡しました。26歳でした。
同馬は、いわゆる外国産馬としてアメリカから日本に輸入されました。父Danzig、母Althea、母父Alydarという血統で、栗東・浅見国一厩舎からデビューしました。新馬戦、いちょうステークス(OP)をともにレコードタイムで勝利し、12月の阪神3歳牝馬ステークスでは圧倒的な1番人気(単勝1.2倍)に推されると、ふたたびレコードタイムでゴール板を駆け抜け、『レコード娘』と呼ばれる活躍を示しました。この歳のJRA最優秀3歳牝馬にも選出されました。
以降は怪我との戦いとなり、1996年12月 ポートアイランドステークス(OP)で久々となる4勝目をあげました。以降も、翌年1月に京都牝馬特別(G3)2着、3月にマイラーズカップ(G2)3着、5月には京王杯スプリングカップ(G2)3着と好走しました。しかし6月のマーメイドステークス(G3)の調教中に骨折を発症し引退することになりました。
2001年 錦岡牧場 靴繁殖場にて。高見場長と。
引退後、新冠・錦岡牧場 泊津繁殖場で繁殖入りすると、初仔で京成杯(G3)優勝を飾ったヤマニンセラフィムを始め11頭の産駒を輩出しました。
当時の偉大なる種牡馬サンデーサイレンスとの交配のなかで、後に種牡馬となるヤマニンセラフィムだけでなく、GI2着のヤマニンアルシオンなど、期待馬を輩出しましたが、近年は活躍馬を輩出できていません。最後の産駒となるヤマニンネッリが先日競走馬登録されました。活躍が期待されます。
年 | 馬名 | 性別 | 父 | 備考 |
1999 | ヤマニンセラフィム | 牡 | サンデーサイレンス | 京成杯(G3)勝馬 種牡馬入り |
2000 | ヤマニングロリアス | 牡 | サンデーサイレンス | |
2001 | ヤマニンアルシオン | 牝 | サンデーサイレンス | 阪神JF(GI)2着 繁殖入り |
2002 | ヤマニンアリエル | 牝 | サンデーサイレンス | 岡崎特別(500万下)優勝 繁殖入り |
2003 | ヤマニンプレアデス | 牡 | サンデーサイレンス | ブリーダーズカップに登録していた |
2004 | ヤマニンブルーザー | 牡 | フレンチデピュティ | |
2007 | ヤマニンティアモ | 牝 | キングカメハメハ | 繁殖入り |
2010 | ヤマニンブルジョン | 牡 | アドマイヤムーン | JRA3勝 |
2011 | ヤマニンケルベロス | 牡 | マンハッタンカフェ | |
2015 | ヤマニンディアリー | 牝 | キングズベスト | |
2016 | ヤマニンアネッリ | 牝 | ペルシャザール | JRA現役 |
放牧地を駈けるヤマニンパラダイス
管理人 なおやにとってもとても思い出深いのが、ヤマニンパラダイスで、大好きな馬の1頭でした。
学生時代~新入社員時代、パソコン通信(世代的に判らない人多いかも)の競馬ゲームフォーラムに出入りしていた時に知り合った人たちとの話がまず、思い出されます。それは、「怪我から復帰したヤマニンパラダイスと、その知り合いが応援しているナムラホームズの後先対決」をしていたことです。好きな馬って、それだけで熱くなれるし、燃えるし、こうして記憶に残ってしまうんですよね。
でもそれ以上に記憶に残っているのは、現役時代より繁殖入りしてから、でした。錦岡牧場の前社長・土井睦秋氏との親交の中で、ヤマニンパラダイスは本当に特別な1頭になりました。私がヤマニンパラダイスが大好きということもありましたが、土井睦秋氏もヤマニンパラダイスの産駒に大きな期待を寄せていらっしゃいました。毎年産駒のことで一喜一憂できたことは、忘れられないできごとです。
ヤマニンセラフィムはハンサムさんです
ヤマニンパラダイス好きが高じた私は、産駒のデビュー戦には競馬場に駆けつけるようになっていました。ヤマニンセラフィムも、ヤマニンアルシオンも、京都競馬場で新馬勝ちするのを観ては、睦秋氏と連絡を取り、今後の活躍を楽しみにしていたものです。ヤマニンセラフィムがクラシックを諦めたときの蛯名騎手の様子、ヤマニンアルシオンが2着だけど優勝したのはヤマニンベン牧場生産馬なので複雑な気持ちだったこと、ヤマニングロリアスは身体が小さくて難しいかも知れないと話されていたこと、ヤマニンアリエルがオークスに出走したこと、ヤマニンプレアデスをブリーダーズカップに登録したこと……本当にたくさん教えて頂き、また凄く応援していました。錦岡牧場、ヤマニン軍団の看板を背負って立つ存在になって欲しい、と私も思っていました。でも、まだまだこれから、ですね!
凜々しいヤマニンティアモも、今は立派なお母さんに。
ヤマニンセラフィムやヤマニンアルシオンを輩出しただけでも立派なお母さんであるヤマニンパラダイス。その後も産駒を輩出し、かなり高齢でも頑張って産駒を残してくれたのは、本当に頭が下がる想いです。
ヤマニンアルシオン、ヤマニンアリエル、ヤマニンティアモなど、後継繁殖も残しました。
残したと言えば、ヤマニンパラダイスの父「Danzig」のこと。当初日本の競馬界では、「ダンチヒ」と表記されていました。しかし睦秋氏が、「産地であるアメリカでは『ダンジグ』と呼ばれている。呼び方にふさわしい表記をすべきだ」と話されており、気づいたら今では『ダンジク』と表記するようになっていますね。ふと思い出しました。
ヤマニン倶楽部は種付けまで行ってましたね(;^_^A
2016年にヤマニンアネッリを最後に繁殖生活を引退。
錦岡牧場 新和育成場で功労馬としてファンのみなさんとの触れあう日々に変わり、落ち着いた日々へと変化していたのではないかと思います。
亡くなる6日前も、静かに草を食んでいました……
たまたまだと思いたいのですが、ヤマニンゼファーと同じように、管理人なおやは、ヤマニンパラダイスの亡くなる6日前に、会うことができていました。例年1度は牧場を訪れていますが、たまに都合がつけば秋にも見学させていただいてます。今年はそんなたまたまで、12月1日に錦岡牧場 新和育成場を訪ねていました。
新和育成場にいる時の私は、近年、とても忙しく過ごします。育成中の2世代の仔馬たちを写真に収めたり、スタッフの皆さんのお話を聞いたり、とてもとても充実した1日になってしまうのです。1日では足りず、2日目も顔を出し、「今日も来たの!」とびっくりされることもあります。今回はスケジュールが厳しく1日しか割けず、当歳の写真を収めるのは諦めました。
一通り撮り終わり、冬に向かう日々は午後4時過ぎにはすっかり夕闇に落ちてしまいます。朝6時前から活動していた私も、太陽の光がないとさすがに活動できず切り上げます。そして、新和育成場を出る最後に挨拶したのが、このヤマニンパラダイスです。初めて泊津繁殖場で会ってから17年も経ってました。元気で良かったって思ってました……。
いろんなこと、本当にありがとう……
最後にそばで草を食んでいるヤマニンパラダイスに、「元気でね、また来るね」と声を掛けて、牧場を後にしました。
もうヤマニンパラダイスに会えないと思うと、なんだか切なくなりますが、馬の寿命を考えれば、大往生です。本当にお疲れさまでした。
ヤマニンパラダイスは私にって、たくさんの競馬仲間を連れてきてくれた馬。これからも私にとっては大切な馬です。ありがとう……
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