たくさんの感動をありがとうございます! ヤマニン主戦・柴山雄一騎手 引退
本日2023年12月22日、JRAは、柴山雄一騎手から騎手免許の取り消し申請があり、12月31日付で騎手免許が取り消されることを発表しました。また同時に騎手引退後は、美浦・古賀慎明厩舎で調教助手になる予定であることも発表されました。
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柴山雄一騎手は、1978年2月生まれ、大阪府寝屋川市出身の現在48歳。母親のすすめがきっかけで騎手を志し、JRA競馬学校を受験するも3年連続で不合格に。その後地方競馬教養センターに目標を切り替え合格し、1998年に笠松競馬場でデビューを飾りました。安藤光彰騎手の弟弟子にあたります。デビュー年には体重オーバーでレース直前に騎乗変更を6回させられ、師匠・飯干秀人調教師の主催者への説得で騎手生活を継続できた逸話も。2004年には笠松競馬リーディング4位となり、安藤勝己騎手のすすめもあり、JRAの騎手免許試験を受験。JRAには地方競馬騎手に対して1次試験免除特例(過去数年の勝ち星等が条件)があるものの柴山騎手は該当しなかったため1次試験からの受験でしたが、見事に一発合格。地方競馬騎手出身者からは4人目の合格者になりました。地方通算3240戦393勝。
2005年3月に美浦所属のJRA騎手としてデビューを飾ると80勝を飾り、グランリーオで中日新聞杯(G3)を制し、初重賞制覇。以降も勝ち星を重ねることになりました。
ヤマニン軍団初騎乗は、2005年5月8日 新潟2R 3歳未勝利 ヤマニンメルベイユ(4着)でした。8月 函館でヤマニンプレイズ(2着)で成績を残すと、継続騎乗となった9月4日 札幌6R 3歳未勝利 ヤマニンメルベイユに初勝利を掴んでみせました。しかし、今ふり返ってみてもヤマニン軍団の馬に柴山騎手が乗ることは、しばらくの間稀で、今思えば意外な気もします。
転機となったのは、2008年。それ以前から交流はあったのかも知れませんが、2月 白富士ステークス(OP)のヤマニンメルベイユ(3着)に騎乗すると、継続騎乗で3月 中山牝馬ステークス(G3)を制覇。以後、その鞍上には総帥に信頼された柴山騎手の姿があり、同年8月にはクイーンステークス(G3)で同馬2つめのタイトルを獲得。9月 神戸新聞杯(G2)と10月 菊花賞(GI) に出走したヤマニンキングリーの鞍上にも柴山騎手の姿がありました。他の優秀な騎手たちが手綱を取ることはもちろん多かったですが、ヤマニン軍団の総帥は、折に触れて柴山騎手への信頼を口にされていたことが思い出されます。
翌年には、ヤマニンキングリーで札幌記念(G2)を制覇し、大きな話題を振りまきました。
以降、ヤマニン軍団と柴山雄一騎手との信頼関係は厚く、特別な関係が構築されていきました。
一ファンに過ぎない私には、言葉の端々から伝わってくる感触でしか語ることはできませんが、先代社長が語られていた柴山騎手のお話や言動、そして牧場のスタッフたちの話しぶりからも、柴山騎手のお人柄が察せられ、任せたくなるステキな方なんだな、と思っておりました(そしてそういうお話も、本当に多かったように思います)。
そして先代社長から聞いた話のなかで、「活躍してくれたらそれでいい」と話されていたことを思い出したのですが、勝ち星が伸びるとヤマニン軍団での騎乗・勝ち星がなくなるなんて、本当にヤマニン軍団らしくて、ステキでした。
また現陣営が昨年、ヤマニンクイッカー・柴山騎手騎乗への信頼感が半端なかったのが思い出されました。
騎乗数減少で栗東へ移籍したり、また今年は美浦に戻るなど、いろいろと努力を重ねてらしての決断で、ヤマニン倶楽部にとっては『主戦・柴山雄一騎手』だと思ってきたので正直とても寂しいのですが、柴山騎手の決断を尊重し、これからの活躍を切に祈っております。
柴山騎手と掴んだ重賞3勝は、忘れられない思い出です。
でも、良いときだけでなく苦しいときもともに歩めたことも、われらの誇り。
今まで感動をありがとうございました!
でも、鞭を置くその時まで、「主戦」の騎乗を信じてる
今までありがとうございました。これからの活躍をお祈りしております。
ありがとう、ヤマニン主戦・柴山雄一騎手!
牧場の方を通じて頂いたサイン色紙。ヤマニンキングリーとの勇姿は忘れられないです!
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