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【なおやの見学記2023】5/3 新和 功労馬編

なおやの牧場見学記2023・5/3(2)編

錦岡牧場新和育成場には、ヤマニン軍団の功労馬たちが今も元気に過ごしています!


今回の見学とレポートは、錦岡牧場さんから特別なご許可を頂いております。
本見学記内にも改めて記載する予定ですが、現在、錦岡牧場さんは一般見学を中止しております。今回の経緯につきましては、Twitterのこちらの記事もご確認下さい。
また牧場見学を希望される方は、各牧場に問い合わせるのではなく、まず【競走馬のふるさと案内所】でルールを確認しましょう。

目次

ヤマニン軍団を支えた功労馬たち

長らく日本競馬界で生産・所有馬を走らせ続けてきた我らがヤマニン軍団。数多くの活躍馬を輩出してきました。
間違いなく軍団を代表するのは、GI3勝を誇り、JRA賞も受賞したヤマニンゼファーです。ヤマニンゼファーは錦岡牧場泊津繁殖場で生まれ、新和育成場で育ち、JRAで活躍し、レックススタッドで種牡馬生活を送ると、功労馬としてこの地・新和育成場に戻り、後輩たちの見守りながら最期の時を送りました。
3走連続レコード勝ちでGI馬に登り詰めたヤマニンパラダイスは、競走生活を終えると新和育成場を経由して泊津繁殖場で繁殖入り。ヤマニンセラフィムやヤマニンアルシオンら産駒を送り出し、繁殖引退後は新和育成場に戻ってやはり後輩たちを見守っていました
競走生活で活躍した仔だけでなく、障害レースで活躍して教官馬として戻ってきたヤマニンエスコートや、仔馬時代に錦岡牧場とともにJRAのCMに出演し大きなアワードを受賞したことから名付けられたやはり教官馬として戻ったヤマニンクリオなど、功労馬として、またそれぞれの性格や適性を加味して、幸運にも戻ってくれた馬たちもたくさんいます。
そしてコロナ禍を乗り越えた今年も、ヤマニン軍団を支えた功労馬たちと、会うことができたのでした。

ヤマニンベン牧場 最初で最後のGI馬ヤマニンシュクル

最初の1頭は、2003年12月 阪神ジュベナイルフィリーズ(GI)を勝利したヤマニンシュクルです。同レースには錦岡牧場生産馬だったヤマニンアルシオンがクビ差で2着に残り、7着にはヤマニンアラバスタが入るというヤマニン牝馬勢が大活躍した世代として記憶に残っている方もいるかと思います。ヤマニンシュクルは、ヤマニングローバルやヤマニンアクロの生産牧場として名前を残している、ヤマニン軍団の根幹生産牧場の1つ静内・ヤマニンベン牧場の生産馬でした。GIタイトルに手が届かないまま錦岡牧場に経営統合されることになりました。そんなとき、ヤマニンベン牧場最後の世代からヤマニンシュクルが最初で最後のGIタイトル戴冠を果たしたのでした。生産者である故・土井瑛児さんの喜びの声が、今も耳に残っています。一方でヤマニンアルシオン・ヤマニンアラバスタの生産者でありつつ、ヤマニンシュクルの育成と競走生活の指揮を担当した錦岡牧場・土井睦秋さんの心中は嬉しさ半分悔しさ半分だったのは、複雑な笑顔から読み取れたものでした。
そんなヤマニンシュクル、期待も大きい繁殖入りでしたが、11頭の産駒は大きなレースで活躍することは叶いませんでした。後継繁殖となった娘たちに想いを託し、繁殖生活を引退。功労馬として新和に帰ってきています。とても穏やかに、放牧地で草を食みながら過ごしています。

関係者の方にお話を伺っていると、とても興味深いお話を伺うことができました。
現在ヤマニンシュクルは、乗用馬のバディといっしょの放牧地で過ごしています。ヤマニンシュクルが新和に戻ってくるまで、バディはとても元気で牧場一のわがままっ仔だったそうです。自分が好きなように行動するし、自己主張は強い方。不満があればすぐに突っかかる感じだそうです。初めてヤマニンシュクルと同じ放牧地に放たれた時も同じように振る舞っていたそうですが、ヤマニンシュクルは泰然自若。バディからの派手な働きかけには応じず、マイペースで過ごしていたそうです。そんなヤマニンシュクルが気に入ったのか、バディもヤマニンシュクルの側にいるのが落ち着くのか、いいコンビになったそうです。ある日、スタッフがバディを連れに放牧地に訪れると、バディは離れたくなくてスタッフを無視する素振り。そうするとそっとヤマニンシュクルが側に寄ってきて、鼻面でバディの身体を「いってらっしゃいな」と言うように押し出して、スタッフについていくように促したそうです。
繁殖場でも物静かなボスだったようですが、新和でもGI馬の格を見せつけるお話で、ヤマニンシュクルの賢さを感じずにはいられないお話です。
この日も写真を撮ろうと私たちが寄っていくと、バディと仲良く草を食んでいました。そしてしばらくするとその特徴的な大きな身体で私たちの側に寄ってきて、まるで「あなたたちは私に用事があるのね」とばかりポーズを決めてくれました。本当に賢い!
そんなヤマニンシュクルも、よいお年。一般見学が禁止になっているのが残念なところです。

京成杯(G3)馬ヤマニンセラフィム と イコピコの母ガンダーラプソディ

このツィートを見て頂いた方も多いのではないでしょうか?
種牡馬生活を引退したヤマニンセラフィムと、神戸新聞杯(G2)馬イコピコなどを輩出し繁殖生活を引退したガンダーラプソディのまさかの同一放牧地での生活。びっくりでしたね(;^_^A ヤマニンパラダイスとサンデーサイレンスの血統馬を数多く輩出したヤマニン軍団ですが、入厩前に見学するときに常に言われたのが「そこの仔(サンデーサイレンス×ヤマニンパラダイス)の側に行くときは声かけてください。気をつけないとだから」とよく注意を受けていました。とにかくSS産駒らしい悍性の強さが出る配合のようでした。ヤマニンセラフィムとはその後も、レックススタッドや新和で会うことになるのですが、悍性が強いというか、とてつもない「かまってちゃん」。自分のこと、かわいいと思ってる。自分が一番だと思ってる。そして、めっちゃ男の子。レックススタッドでも、女性は彼にとって興味を引く対象でしたね!
そんなかまってちゃんが、引退したとは言え牝馬と同じ放牧地なんて……関係者の方に言及されるまで、あの栗毛の子は別の仔なんだと思ってました。
以下、Twitterへの投稿をご覧下さい^^

なおや

ご存知の方もいらっしゃると思いますが、ヤマニンセラフィムはかなりのかまってちゃん。初めて放牧された日も、ガンダーにめちゃめちゃ迫っているのを、ガンダーがうざがっていたそうです。これはダメかなと思ったら、2人とも寄り添いながら放牧地にいるそうで、微笑ましいですね。

なおや

写真のヤマニンセラフィムが顔を上げて、「どうだ」と言わんばかりですが、そういう仔なんです。おじいちゃんだけど😅
牧場見学で馬に触れないで、というのは、セラフィムみたいな仔がちょっかい掛けてきたり噛んだりしたりします。そうすると、見学者が怪我するだけじゃなくて、馬も怪我しちゃう。

なおや

牧場にとって馬は大切なパートナー。怪我をしてしまって、体調崩してしまったら立て直すのもタイヘン。競馬の馬も同じで、体調維持したり健康維持したり、高度な技術を要するんです。ルールは守って欲しい、その理由の1つです。 まあ確かに、セラフィムのあのかまってぶりは、微笑ましいですけど

ヤマニン軍団の馬たちを見守る馬魂碑

錦岡牧場新和育成場には、敷地の中腹に先代社長が建立した馬魂碑が並ぶ一角があります。
木立に囲まれ、錦岡牧場、ヤマニンベン牧場で活躍した繁殖馬たちのメモリアルプレートが一緒に並べられています。
軍団を代表するヤマニンゼファー、近年活躍馬を送り出すティファニーラス、ワンオブアクライン、マダニナたち……。他にも懐かしい名前を見るとができます。とても静かな一角にあり、いろいろと思い出しながら馬名を眺めることができます。
数年前から野生のウサギが暮らしているらしく、今年もその姿を見ることができました。

以上、ヤマニン軍団の総本山・錦岡牧場新和育成場での功労馬たちの様子でした。
歴史と伝統のあるヤマニン軍団を育んできた新和育成場には、これまでを形作ってきた功労馬たちとその痕跡が、今もヤマニンの馬たちを見守っています。徐々に力を取り戻しつつあるヤマニン軍団の歴史もまた、ヤマニン軍団の魅力ですよね。これからも是非一緒に応援していきましょう!

(続く)
なおやの牧場見学記2023・5/3(2)編

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