2019年 JBCレディスクラシック(Jpn I)優勝馬・ヤマニンアンプリメが登録を抹消。繁殖入りが発表されました。
2021年2月26日(金)、JRAよりヤマニンアンプリメの競走馬登録の抹消と繁殖入りが発表されました。
ヤマニンアンプリメは、2014年4月5日 浦河・廣田伉助氏の牧場で生産された父シニスターミニスター、母ヤマニンエリプスという血統の7歳牝馬。新冠・錦岡牧場新和育成場で馴致され、2016年に栗東・中村均厩舎に入厩。2019年 JBCレディスクラシッック(Jpn I)を含む 地方交流ダート重賞3勝、JRAと地方通算35戦9勝(9-4-4-18)の成績。獲得賞金は、JRAで1億2667万円、地方で1億731万円。今後は、新冠・錦岡牧場新和育成場で繁殖入りの予定です。
遂にこのときが来てしまったんだ……というのが管理人 なおやの感想です。2014年から長らく走り続けてくれたヤマニンアンプリメ。最後にダートの頂点を決めるフェブラリーステークス(GI)への挑戦で長いチャレンジの旅を締めくくることになりました。
活躍した馬たちへの思い出は、やっぱり色濃く残るものです。そして、そういう馬たちの血統背景も気になるもの。ヤマニンアンプリメも血統背景がヤマニン軍団の一面を表していて、成績を残すことができて本当に良かったな、と思わずにはいられません。
ヤマニンアンプリメの牝系を遡ると、ヤマニン軍団の歴史が垣間見えるのは、以前に紹介したことがあるかもしれません。3代前の母にあたるLower Lightsは、ヤマニン軍団の基礎繁殖牝馬の1頭です。ニジンスキーの血を導入することを目指し、米国で購入されたのがLower Lightsです。Lower Lightsは米国で繁殖生活を送り、産まれた産駒たちが日本で走り、ヤマニン軍団の基礎繁殖牝馬として導入されていきました。
- ヤマニンペニー (1979年生産・父Nijinsky)
栗東・浅見国一厩舎 34戦3勝(3-4-5-22)
1982年 4歳ステークス(OP)- ヤマニングローバル (2番仔・1986年ヤマニンベン牧場生産・父ミスターシービー)
栗東・浅見国一厩舎 29戦5勝(5-1-4-19)
1989年 デイリー杯3歳S(G2)・1991年 アルゼンチン共和国杯(G2)・1992年 目黒記念(G2) - ヤマニンエリプス (10番仔・1996年ヤマニンベン牧場生産・父サンデーサイレンス)
栗東・浅見秀一厩舎 33戦2勝 (2-7-4-20)
1999年 新馬勝ち- ヤマニンアンプリメ (10番仔・2014年廣田伉助氏生産・父シニスターミニスター)
栗東・中村均厩舎 35戦9勝 (9-4-4-18)
2019年 JBCレディスクラシック(Jpn I)・2019年 北海道スプリントカップ(Jpn3)・2019年 クラスターカップ(Jpn3)
- ヤマニンアンプリメ (10番仔・2014年廣田伉助氏生産・父シニスターミニスター)
- ヤマニングローバル (2番仔・1986年ヤマニンベン牧場生産・父ミスターシービー)
- ヤマニンサムシング (1976年生産・父Little Current)
- ヤマニンフェーム (初仔・1982年廣田伉助氏生産・父ナイスダンサー)
栗東・中村均厩舎 14戦1勝 (1-0-1-12)- ヤマニンドルチェ (8番仔・1994年廣田伉助氏生産・父サンデーサイレンス)
栗東・太宰義人厩舎 22戦1勝 (1-1-3-17)- ヤマニンスフィアー (初仔・2000年廣田伉助氏生産・父ホワイトマズル)
美浦・鈴木康弘厩舎 19戦3勝 (3-3-5-8)
2003年かもめ島特別(1000万下)・2003年アネモネS(OP)2着・2003年スイートピーS(OP)3着 - ヤマニンバッスル (7番仔・2006年廣田伉助氏生産・父トウカイテイオー)
美浦・黒岩陽一厩舎 29戦4勝 (4-3-0-22)
2010年 鋸山特別(1000万下)・2009年 小野川湖特別(500万下)
- ヤマニンスフィアー (初仔・2000年廣田伉助氏生産・父ホワイトマズル)
- ヤマニンドルチェ (8番仔・1994年廣田伉助氏生産・父サンデーサイレンス)
- ヤマニンアピール (2番仔・1983年廣田伉助氏生産・父ゼダーン)
栗東・中村均厩舎 35戦10勝 (10-10-1-14)
1988年 中山大障害(秋)・1988年 京都大障害(春)(秋)・1988年 阪神障害S(春) - ヤマニンクララ (5番仔・1986年廣田伉助氏生産・父ブレイヴェストローマン)
栗東・中村均厩舎 12戦1勝(1-0-2-9)- ヤマニンアクロ (4番仔・1996年ヤマニンベン牧場生産・父ヤマニンスキー)
美浦・萩原清厩舎 10戦2勝(2-1-0-7)
1999年 共同通信杯4歳S(G3)
- ヤマニンアクロ (4番仔・1996年ヤマニンベン牧場生産・父ヤマニンスキー)
- ヤマニンマリーン (7番仔・1988年廣田伉助氏生産・父カツラギエース)
栗東・中村均厩舎 6戦2勝 (2-1-0-3)
1991年 4歳牝馬特別(G2)
- ヤマニンフェーム (初仔・1982年廣田伉助氏生産・父ナイスダンサー)
- ヤマニンチアコ (1974年生産・父Arts and Letters)
- ヤマニンシャローム (1979年生産・父ファバージ)
- ヤマニンドリーマー (4番仔・1989年錦岡牧場生産・父ノーアテンション)
栗東・浅見国一厩舎 33戦6勝 (6-2-1-24)
1992年 優駿牝馬(GI)4着・オープン馬 - ヤマニンファントム (5番仔・1990年錦岡牧場生産・父サクラユタカオー)
栗東・橋本寿正厩舎 15戦4勝 (4-3-3-5)
1994年 伊勢ステークス(準OP)・オープン馬
- ヤマニンドリーマー (4番仔・1989年錦岡牧場生産・父ノーアテンション)
- ヤマニンシャローム (1979年生産・父ファバージ)
20世紀のヤマニン軍団はニジンスキー導入に積極的で、ヤマニンスキーという種牡馬を導入したこともあります。とはいえ当時の日本は競馬二流国。そう簡単に売ってくれるわけではないので、このように変則的に導入されていきます。社台ファームのメジャーさとは裏腹です。とはいえ、Lower Lightsからは重賞勝馬を5頭輩出することになります。幻の三冠馬と謳われた重賞3勝馬・不死身のヤマニングローバル。パーフェクト連対の障害記録を残した元祖・白い怪物ヤマニンアピール。競走生活に逝った重賞勝ち馬ヤマニンマリーン。10番人気で大穴を空けたヤマニンスキー産駒ヤマニンアクロ。そして交流ながら初のJpn I馬・ヤマニンアンプリメです。
上の牝系に連なる馬たちを観て頂くとあることに気付きます。それは、ヤマニン軍団でも懐かしい名前に彩られているところです。ヤマニンペニー系とヤマニンアクロは静内・ヤマニンベン牧場の生産馬たちであること。そしてヤマニンベン牧場が経営統合された後、紆余曲折を経て浦河・廣田伉助氏によってヤマニンアンプリメが生産されたこと。長らく、栗東・中村均厩舎が関わっていることです。ヤマニンベン牧場の故・土井瑛児社長から酔ってお電話頂いたとき、何故か二度程度、中村均調教師と言葉を交わしたことがあります。不思議なことですが(;^_^A とても信頼されているのだな、というのが伝わってくるエピソードなのですが、こうした人と人の営みが縦横に編み合わさって、愛しい馬たちが輩出されているのだなと、改めて思い出さずにはいられません。
ヤマニン軍団の司令塔である錦岡牧場もまた、重賞勝ち馬こそ輩出していないものの、ヤマニンドリーマー・ヤマニンファントムの姉弟を輩出しています。今週で調教師を引退される星野忍師。故・土井睦秋社長が、「星野調教師にも活躍してもらいたいから、ヤマニンドリーマーの仔どもたちを預けるんだ」とよく話しておられました。なんだか、最近の出来事がLower Lights牝系で語れてしまいそうです(そんなことはないですけどね)。
さて、ヤマニンアンプリメを語りたい気持ちは凄くあるのですが、少し時間をおいて書かないと、血統背景だけでこれだけの量になってしまいました(^^ゞ
実はヤマニンアンプリメのおかげで私自身もたくさんの出会いと思い出があります。それはまた改めて筆を執ろうと思います。
まずはヤマニンアンプリメとその関係者の皆さま、本当にお疲れさまでした。とてもワクワクするチャレンジの旅路でした。最高でした!
産駒と皆さまのこれからの活躍をお祈りしています。
ヤマニンアンプリメ、また会いましょう!
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