【法政大学体育会馬術部・見学記2024】第5回(最終回)
本コラムは、法政大学体育会馬術部様の特別な許可を頂き、実際に見学させて頂きました。 一般の見学は受け付けていらっしゃいません。
4つめの取り組み・「馬糞の有効活用」
人馬の存在価値を再確認することで自らの価値を最大化するというジャーニーを選択した法政大学体育会馬術部さんとその研究チームの取り組み4つめは、「馬糞の有効活用」です。
法政大学体育会馬術部さんで繋養しているサラブレッドたちも生き物ですから、日々の生活の中で馬糞を出します。これらは歴史をふり返るまでもなく、農業で有効に活用されてきました。これを彼ら自身と拠点である地域の農家へ提供できるのではないか、と考えたのです。
どこまでも執拗に、自らの価値を最大化することに貪欲な法政大学体育会馬術部さん。
――確かに農業の現場では、堆肥の材料として馬糞は有効活用が可能ですね。
「そうですね。『堆肥』が土壌改良に必要とされていることもあり、歓迎されることになりました。しかも、それだけではなかったんです」
――それだけではない? 歓迎されるだけではない、と?
「はい。これをきっかけに、学内の仲間が増えたことと地域コミュニティの一員としても活動できるようになりました」
単に堆肥やその材料を提供するだけでなく、学内並びに地域におけるコミュニティの貴重な構成員として認められた、ということなのでしょう。様々な活動はこれからのようでしたが、地に足のついた存在価値もまた、法政大学体育会馬術部さんの取り組みによって生まれつつあるのでした。
馬糞堆肥の貴重性
本コラムを書くにあたり、少しだけ馬糞堆肥についても調べてみたのですが、実は馬糞から作成される馬糞堆肥はとても貴重性が高いものであることが判りました。地域コミュニティから認められるのもなるほど、と思わせるものでした。
植物の成長を促進するために使用される物質が、肥料と堆肥で、「馬糞」は堆肥の材料となります。
堆肥は有機物を分解して作られる自然肥料で、土壌の健康を改善し、栄養素を補充するために使用されます。一方で直接植物に栄養素を供給するために使用されるものを肥料と言い、区別されているようです。
堆肥は土壌改善にとても重要な役割を果たします。この堆肥は、有機物を集めて空気と水分量を調節し、有機物分解をさせる必要があります。分解させることで栄養素が豊富な肥料に変わります。
有機物(植物性であれば落ち葉や稲わら、籾殻など。動物性であれば糞など)によって堆肥を作ることは古くから行われている方法で、なかでも馬糞堆肥(1割が馬糞、9割が植物性有機物)は他の堆肥(鶏糞堆肥、豚糞堆肥、牛糞堆肥など)よりも土壌改良効果が大きいと言われています。
ですが馬は他の動物と比較して繋養数が少ないため、馬糞堆肥を大量生産できない、という現実があります。
結果的に法政大学体育会馬術部さんは、この貴重な馬糞堆肥を学内で有効活用すると共に地域コミュニティに提供していることになります。
これは私の想像になってしまいますが、馬糞堆肥は貴重なものであり、近年の肥料高騰を考えれば、土壌改良の側面からとても良い関係を築くきっかけとして、大きな材料になりそうです。
労働力としての馬はもう時代遅れになってしまいましたが、実はすべての存在価値が否定されている訳ではなかったのです。
ここにも馬たちの価値があったのです。
ウマたちはいつから私たちと一緒にいるのだろう?
――競馬を観ていると、欧米における馬との密着している文化とは違うのかな、と感じることがあります。例えば、門別競馬場では人材不足からインドからの出稼ぎの方が多いと聞きます。なんだか不思議に感じたりするのですが……
ふと私は、門別競馬場のパドックでの光景を思い出し、こんな疑問をぶつけていました。
地域コミュニティへの馬糞提供はある意味自然で違和感のないものです。しかし現代の日本社会を顧みると、私たちにとって「ウマ」は遠くから眺める存在になっていて、残念ながら身近な存在とは言えません。わざわざ乗馬クラブやそれこそ法政大学体育会馬術部さんのふれあいイベントに参加するなど、機会は限られているように思います。
でも一方で、日本では馬の業界でも人手不足が深刻で、近年ではインド人の皆さんが一部を支えて下さっています。
あとで思い返しても、これはちょっと恥ずかしい質問でした。歴史好きを自認しているだけに、なお一層。これは思い違いです。
「インドの方が多く競馬界に入ってきていらっしゃいますね。インドは、元々大英帝国の一員というのも大きいのでは?」
あ! とその時は思いました。
後日よくよく考えると、人馬の関わりはもっと古く、実はさらに広いものです。
旧石器時代のラスコー洞窟の壁画にウマの姿が現れており、紀元前4000~3000年頃には家畜化されていると考えられています。この頃には手綱やハミの遺物が発見されており、紀元前3500年頃、メソポタミアで車輪が発明されているぐらいです。遊牧民達が大陸を往来して国家の栄枯盛衰があり、住民たちが日常の営みを続けていたのです……。
そして、実に多くの国で競馬は現在も営まれています。ある調査によれば、80カ国以上の国で開催されていると言われています。ウマとは、それほどに人々の文化の中に取り込まれています。
まして、競馬のふるさと・大英帝国の一員だった国こそ、インドです。インドの方は、馬の扱いに長けていらっしゃる国の1つなのです。
ウマがいる文化は、実は日本も同じでした。
人馬が共にいることは、もしかしたら私たちにとって原風景なのかもしれません。
ウマはいつから、どれぐらい、日本にいるのだろう?
日本における人馬の関係は、古墳時代に国家政策として軍馬や家畜馬として朝鮮半島から導入されたのが始まりです。日本最古の史書である『日本書紀』にも馬たちの記述があり、流鏑馬の起源も6世紀中頃の九州豊前の宇佐の地とされています。16世紀には琉球王国経由で明(当時の中国)へ輸出された記録があり、17世紀初頭には蝦夷地(北海道)で和人(日本人)が馬を用いていることが記録されています。
江戸時代には、庶民や下級武士たちは鐙をつけての乗馬は許されていなかったものの、飼育や初期調教は百姓身分が担当していたそうです。馬仲介業であるいわゆる「馬喰(ばくろう)」も古くから続く職業として登場しています。この時代は農家の5軒に1頭の割合で馬を飼っていたとされており、当時の日本人の人口から42万頭前後飼育されていたと推定されています。他用途の馬を加えれば、これらを上回ると考えられます。
今の私たちからは想像できないほどの頭数が飼育されていたことになり、今現在の私たちとは異なり、人馬の関係はとても近かったに違いありません。
江戸期における人口の70%が農民とされており、農耕馬として活躍していたことが想像されます。
なお農林水産省の調べによると、2022年における日本での馬飼養頭数は68,263頭で、近年減少傾向にあるそうです。
地域コミュニティのなかにある法政大学体育会馬術部さんがある光景は、ある意味、これこそ「人馬の原風景」なのかも、と思わせる取り組みでした。
そして、日本にも馬の文化は根ざしている証拠を、こうして示してくれています。
2005年に筆者が撮影した賀茂競馬(かもくらべうま)の光景。堀河天皇の寛治7年(1093年)に始まった神事。今年も5月に開催されます。
筆者は上賀茂神社とこの神事が好きで、一時期毎年通っていたことがあります。馬は確実に、日本文化の中にあったんだと実感させられます。
法政大学体育会馬術部さんのジャーニー
1時間弱の柏村監督のプレゼンテーションを聞かせて頂き、そして後日、このコラムを書き起こして感じたのは、法政大学体育会馬術部さんが自ら生き残るために始めたジャーニーは、当初から現実に向き合い、社会に認められるために自らの行動で存在証明をし続ける、というもののように感じられました。
その最初のピースには、柏村監督や法政大学体育会馬術部のOB・OGや現役生の皆さんとともに、錦岡牧場のウマたちがいました。寄贈を受けたことに対する感謝を「馬名をそのまま」にして下さったことで、私たちにたくさんの「気づき」を与えてくれました。
とはいえ、法政大学体育会馬術部さんのジャーニーは現実的だからこそ、これからもいろいろなことに遭遇することになるのだろうな、と感じずにはいられません。決して楽な道には思えないから。
「私たちの取り組みを聞いて下さり、ありがとうございました」
――はい、質問させて頂いても良いですか?
「はい、もちろんです!」
柏村監督が時折見せてくれる横顔は、情熱的なお話とともに、その背景を語るに十分な、魅力的なものでした。
子どもの頃、競馬ゲームが大好きで、馬の世界に嵌まっていったこと。今も競馬が好きで、ヤマニン倶楽部を毎週チェックしてくださっていること。馬の魅力。大学時代の経験や友人たちのこと……。今の時代なら、ウマ娘で馬の世界に入ってきたようなイメージです。
これだけ馬が好きで、魅力的な笑顔で語られる方だからこそ、現実と向き合って、この熱量で取り組めているのだろう、と。
でも、私には不思議なことがありました。
このジャーニー、一人では絶対にムリです。
私は柏村監督に向けていた身体を、ぐるりと教室の後ろで座っていらした高見教授に向けました。
―――高見先生は、馬の世界と関わりがなかったと思うのですが、なぜこの研究をされているのですか?
なんとも不躾で、失礼な質問です。今こうして書いていても、恥ずかしくなります。
でも、私はどうしても聞きたくなってしまいました。柏村監督の情熱を最初に受け止めたかも知れない方が、どう思っていらっしゃるのか。
少し驚かれたかも知れない高見教授でしたが、温かい笑みを浮かべながら、優しい口調でお話を聞かせてくださいました。
「前任者から部長を引き受けてほしいと頼まれたのが、たまたま馬術部だったというだけで、私は馬とは縁遠い存在でした。しかし、柏村監督と共に部の運営を進める中で、新しいアプローチを模索するうちに、『人馬のウェルビーイング』という概念に辿り着きました。これは、競技会での成功だけでなく、人と馬が健康で幸福な生活を実現することを目指すものであり、私たちが定義した言葉です。もともと私は運動生理学を専攻し、人々の健康・体力づくりを研究テーマにしてきましたが、今では人馬のウェルビーイングが研究の中心テーマとなっています。「人々」が「人馬」に変わったわけですが、研究はさらに多様な方向に広がり、新たな可能性を感じています。」
そしてその笑顔で、
「今では私も、競馬を観ますよ」
と付け加えられました。魅力的な先生です!
柏村監督が今までにない人懐こそうな笑顔で、声を上げます。
「なおやさん、高見先生に、ヤマニンウルスが如何に強いか教えてあげて下さいよ」
――え?
「ヤマニンウルス、知ってますよ! 1月に勝った馬ですよね」
――競馬場には行かれるんですか?
「奥さんとたまに」
この質問攻めはひどい! でもそう尋ねたくなるほど、この勉強会を見守ってくださっていたんだと思います。
柏村監督の顔が、一瞬いたずらっ子だったのは、ナイショです。
課題はある……このジャーニーは続く
勉強会の最後に、柏村監督のお話。
「実際には、課題はまだまだあります」
――それはなんでしょうか?
私はここまでの見学やお話を伺って、現実と向き合って存在価値を高める、というある意味泥臭いけれども現実的な方法を模索する法政大学体育会馬術部さんと研究チームに、好感を覚えていました。センチメンタリズムと決別し、アカデミックに、そしてリアリズムに寄り添っている、その潔さ……でも、厳しい道です。
「毎年、新入部員を迎え入れることです」
ヤマニン倶楽部有志のうちの誰かが、「あっ」と声を上げます。
柏村監督は笑顔で応えられます。
「学生たちのためにある馬術部ですから」
実際には、他にも様々な課題があると思うのです。しかしそれはグッと内に秘め、これからも学生さんたちと共に乗り越えていくのだという決意を、私は感じたのでした。
法政大学体育会馬術部さんとのご縁
別れ際、高見教授と柏村監督から、「東京六大学馬術大会」の予定をお知らせ頂きました。
「是非部員たちを激励にいらしてください」
とお誘いを受けたのです。
内心、「うわっ、体育会だっ!」と「激励」という言葉に過剰に反応する文化部出身の私。それもナイショです(笑)
「もちろん!」
私たちはそう応え、法政大学多摩キャンパスをあとにしたのでした。
ヤマニン軍団の魅力に取り憑かれ続けてきた「ヤマニン倶楽部」の活動が、土井睦秋・前社長、土井久美子・現社長を通じ、法政大学体育会馬術部さんのこのようなステキな活動に繋がるとは、正直思ってもみませんでした。
錦岡牧場の馬から繋がれた縁が、現実にあらがうと言うよりも、現実を再発見しながら進んでいく方々とお話をする機会を得られたことが、とても楽しい、そして有意義な経験となりました。
私は、法政大学体育会馬術部さんと研究チームのジャーニーの行く末を、今後も見てみたいと思っています。
今後の彼らの活躍、楽しみじゃないですか!
[了]
後記・あと……少しだけ予告
今年の2月に見学させて頂いてから、少しお時間を頂戴することになってしまいました。
なんとか最終回まで完走することができて、ホッとしています。
先日、東京六大学馬術大会へ応援に行ったところ、複数の新入部員候補の方も見学に来られていると聞きました。課題の1つは、今年もクリアできそうですね!
これまでもヤマニン倶楽部では様々なことを皆さんにお伝えしようと活動して参りましたが、「これは今までと違う」と気づき、どう表現したものか七転八倒しながらの2カ月間でした(笑)。
とても興味深い活動で応援したい気持ちはあるけれど、どうしたら興味を持って頂けるか、読んで頂けるか……。
ここでも馬たちに救われたように思います。ヤマニンマヒアがリード役を務めてくれました。ヤマニンサポーターの皆さんにとって、法政大学体育会馬術部さんが馬名を維持しながらリトレーニングして下さることは、とてもニュース性がありました。
また、たくさんの方に助けられました。人の縁が繋がっていくエピソードが、満載でした。取り組みを紹介したいのはやまやまだけど、こんな魅力的な人たちを紹介しない訳にはいかないと、フォーカスはどちらかというと取り組みよりも「人」でした。許容して下さった皆さまに感謝です。でも、まだまだ紹介しきれていないと感じています――。
先日、ヤマニン倶楽部有志のCKさんから、法政大学体育会馬術部部員さんのお話が聞きたいというお申し出を頂き、法政大学体育会馬術部さんにもご快諾頂きました。皆さんにご紹介することができるかも知れません。CKさんとの縁もまだ2年に満たないのですが、ヤマニンマヒア愛だけでなく、馬たちへの愛情をこういう形で取り組んでみたいと手を上げて下さって、本当に感謝です(プレッシャーを掛けている訳ではないですよ)。お楽しみに!
こんなステキな機会を下さった法政大学体育会馬術部(@hosei_eq、Instagram)の皆さま、本稿を下読みしてくれた おーたさん、よーじさん、特別編を執筆してくれたCKさん(@CK_Ariaze)、見学を盛り上げてくれた やきゅうさん(@admiral_yakyu)、画像を提供下さった宇宙人ビロ子さん(@a135811011117)、しょしょしょさん(@hC3HbPsouIBjW2S) 、白浅さん(@yziILGbmUA4yYK8)、そしてこんな長編を最後まで読んで下さったヤマニン倶楽部サポーターの皆さんに、大変感謝しております。ありがとうございました。
また別稿でお会いしましょう!
競走馬時代の名前で競技会に参加したヤマニンマンダリン。
減点4という惜しい結果でしたが、まだまだ伸び代があるからこそ、次が楽しみというキャプテン。
法政大学体育会馬術部さんの取り組みは、まだまだ続きますが、こうしてヤマニンランナーズたちの名前が掲示板に灯るだけで、私たちは嬉しくなってしまいますね。
法政大学体育会馬術部さんの Instagram
とても楽しそう!
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